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From ground to sky Oh,tomato!
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ずばり、今年の目標。今までたまに感じていたけどついに今日、酷く気づいてしまって呆然としかけたのでこれの改善を今年の目標とすることを誓います。もしかしたら三日だけかもしんないけど誓います。(だから私は駄目なんだ)

千里中央まで自転車こいだ。行きはほんとにのぼりばっかりで、途中北千里までに一度急な短い下り坂があるのみ、そんな道。ついでに言うと曲がることはなくほぼ真っ直ぐ進みます笑。そこを行ってきたんですが、疲れた・・・なんか、小六のときはここまではあはあ言わなかった気がするんだけど、え、それってやばくない?小六から高二の歳になってもう老化?ちょろっと帰り、しゃーっと坂を下りながら考えてみた。たまに深く考えたもんだから、信号の段差とか木の根っこで地面が盛り上がってるところを通り過ぎるところとか腰を浮かし忘れて自転車が跳ねたもんだからかなりびびった。傍目にはきっとおかしな人に見えたと思う。・・・・・・。
とういわけで、小学校高学年時代はそれはそれは運動盛んな私でした、誰が家でパソコンの前に座る未来なんて想像出来たことでしょう。朝練のクラブに入ることすらなかったものの、休み時間や給食後、放課後さえもずっと男子に混じってドッジボールしてたような私です。もちろん女の子も居ましたが逃げ回る子が多かったなあ、男子並みに動き回ってたんは私ぐらいだったろう!(・・・)そんなこんなで、小学校はやせててでもそれに反比例するように筋力は馬鹿なぐらいあった。体も柔らかいし雑巾絞るんも、男子がうんと絞ったあとでやってもじょろろろっと水出せたぐらいで、なんだかんだとそういうことは出来る奴だった。それが小学校で、そんで中学校といえばさすがに休み時間に外に出て遊ぶとうことがなくなった。スカートだしねえ。スポーツやってる部活に入ることも憚られ、結局三年間を楽器弾くのに費やした私はまあ太った。うん、まあまあ笑。元からよう食べるくせに運動量は減ったという、でもまだ成長期だったもんで身長も伸びたんでまあ知れた具合だったよ。けど高校になってからもちろんまた文化系部活で、食べる量は変わらなくて、でも成長期が止まった。別に運動神経が悪くなったわけじゃないから、体育の授業では地味人(笑)なくせして球技になるとほいほいやってたりしたんですが、まあ体育の授業なんて知れてんだよね。週二回、だっけ?まあ三回でもそんな程度で、ついでに私はたいてい球技じゃないと動かない笑。ということで、高校で体重をちゃくちゃくと増やしていきました。身長はもうちょろろっとすずめの涙ってやつだよ、くっそう・・・。ふっと!っていうほどじゃないけど、まあまあ町で見かける足ほっそい子よりは全然太ってる現在なわけです、きゃー。
つーか問題点が違う。
太ってるかどうかじゃなくてだな、体力が落ちたってことが言いたかったんだよ私は。いや、体力が落ちたっていうか考えたんは脂肪が増えた割に筋力とか持久力が増えてないってやつだよ。自転車で上りながらきっつ・・・!と思いつつ、それでも止まらないのは意地と根性だ、私はどうでもいいところで最大限にそういうものを発揮する。(・・・)それで無茶が好きなんだね、過去一度、病院に自転車で急いだときに危ないなと思いつつも走り続けたことがあったんだよ・・・病院のエレベーターの中じゃすでに目の前まだらになって息荒くて壁にもたれかかってさあ、お父さんの前についた頃には私がふらっといったんだよね笑。間に合ったんはいいが本末転倒じゃねえかい、なは!・・・まあそれはおいといて、とにかく脂肪増えてでも筋力増えてないよ!っていう問題がですね、体重増えたけど筋力とか増えてないならそりゃしんどくもなるわってことで、体力向上を今年は図ろうと・・・!体重の増減じゃなくって、筋力強化をはかって・・・。持久力は人よりあったほうなんだけどそれも中学の話なんだな、最初の一度以降は全くも持久走やってなかったから高校で久々にやってタイム落ちててショックだった。あれすっごいショックだった。元から足悪い分走るんは駄目だとはいえ、一キロ走んのに五分ちょいかかるなんて、ね・・・ヒッィイイイイ!中一のときは一キロ四分半ちょいで走れてたんに・・・まあ、そんときも高校で走ってショック受けたときも、向こう一週間膝が痛くなったんで懲りましたが。(中学で懲りてねえじゃん)そんで野球やってたし更に現陸上部とはいえ、中一で妹が一キロを三分四十で走ってショックだった、自慢だったがやっぱうらやましかった。うん、でもとりあえずこれを私が越えるのは一生無理なんでそれは素直に認めてやって自慢する笑。ピッチャーやってた妹と比べてでもまだ速い球投げれる自信あるし、ちょろちょろ勝てるところは探したらほいほい見つかるはずだ、遠投は怪しいけど。まあつまるところ、普通に運動できる妹が羨ましいながらも自慢なわけです。(・・・)ついでに妹は怖いぐらいがりがりで、身長ほとんど変わらんにも関わらず私と体重は10kg以上差がついてる。私がそこまで重いんじゃないよ、妹が馬鹿なぐらい軽いんだよ。あれは異常だ、何あのほっそいほっそいほっせー足!(笑)また話逸れてらあ。
まあとりあえず、私は決定的な運動不足だ!妹誘って体育館行くなりなんなり、とりあえず体力をつけたいです、今年の目標!
・・・・・・今年って受験生だよね、普通は大学合格とかそういうんを目標にする年だよなあっはっは。まあ今年の目標なんてたてたんも初めてだし、最初はこんなもんでいいよね。(だから私は駄目なのか)(ってかきっとたてても意味ねーよ)(・・・)
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何のために勉強するのって言われたらわかんないけど、お父さんがしろって言うと思うからでいいような気がするの。なんか今日は疲れたからか感傷的。今日っていうか昨日になるんかな?零時過ぎて日付変わった。
お父さんが言うと思うから、きっと勉強してたらよしと頷いてくれる気がするから。でも本当は私の中でそうだろなってだけで、実際には私が勝手に勉強してるだけなんだよ。もし大学受かったらって考えると、その場で泣いてしまう気がする。それだけ必死に苦しみながら勉強して、やっと終わって合格して努力が報われた瞬間でも、それでも根強くお父さんのことを思い出して泣いてしまう気がする。合格しても隣で一緒に喜んではくれないわけだ。高校の発表のときに一緒に行っただけに、そのときのことを鮮明に覚えてるだけに泣いてしまうような気がするの。嬉しさ少し、悲しさ少し。
ねえ、お父さん、私合格したんだって、聞いてる?もちろんどんだけ言っても思っても聞いてないよ、私が消えるまで引き連れてく届く先のない手紙だよ。返事なんて待っても仕方ない、わかってるから待ってないよ。
お父さんがまともに会話も出来なくなってから考えたことも色々ある、高校に入りたての頃はまだ金魚の糞ごっこをしてたから。居なくなってから得るものも多いってわかるよ、ただ居なくなるっていうのはなるなって思ってもなるし、もちろんなってほしいって思ったからと言ってなるものでもないんだよね。不可抗力ってこういうことを言うんだろな、なってしまったものは仕方がない。
今の自分が好きじゃないわけでもないよ、でももう少しくらいお父さんの後ろで馬鹿やってても良かったんじゃないかなって思うんだよ。お父さんだって大学行ったらもう放任ってようなことをちらりと言ったことがあったわけだしさ。私は高校だったけど妹どうなの、まだ馬鹿ですらないよ。
死んでしまったからこういうことを書くんだよ、お父さんはもう私がこんなん書いてんのを見ることもないんだー。生きてこれを見たならどんな反応が返ってくるんだろうね、わかんないのはお父さんと話してた頃は私はこんなことを書くような人じゃなかったから。なんとなくこうかもしれないっていう想像は出来る、けど話すこともなくなってから出来てきた私の部分だからやっぱりわかんないね。お父さんからしたらどうなんだろうなあ、私が無駄に考えたりすることっていいと思うんかな、よくないと思うんかなー。

また違ったタイプのうだうだ話、久しぶりでした笑。これって書いてる私自身はほいほい書けてしまうんだけど、読むほうってねえ・・・人によりけりだと思うんだけど私は人のこういうん読んだら大抵はイラっとくるほうなんだよね。(えええええ)
まあ暗い考えからふらっとこうして浮上してこれるあたり成長したんだろうなと、ちょっとだけ思ったりして笑。客観的というかなんというか、まあそれが感情の面でも活きてきたかなあと思う。

ところでもうそろそろ年末だ、大晦日かまあそのあたりにあけましておめでとうは遠慮だなあなんてことをここじゃなくてメモに書くつもりにしてるんよ。これで年明けてあけまして!って人が来たら笑えるよなあとか考えてたり・・・。こういうあたり私の性格は悪いというか捻くれてるというか、自覚があるだけ性質が悪いというか・・・馬鹿な人が嫌いじゃない性質の悪さ?なによこの人、じゃなくてあははと笑うあたりがちょっとネジ飛んでんじゃないかなと自分でも思う。(・・・)友だちと喧嘩して多少それを楽しむところがあるあたりね、冷静じゃないなあなんて思うあたりね、ちょっとどうかと、思、う・・・結果的に相手の気も抜けてよかったんだけどさ。最近はなくなってるようなと思ってたあたり、このあけましての件でなくなってなかったことを思い知る・・・こういうのが一種のSなんですか。そういうもんなんですか、エスですかこれ。どうなの。(・・・)
浮上しすぎて泣けてくる・・・笑。

ここって確か愚痴を書きたいと思って生まれたはずだったんですが、いや違うなあ?愚痴を書きたかったんじゃなくて、なんかメモには長いうだうだなことを書いてやろうそんなつもりで生まれたわけですよ、そして見る人がほとんど居ないのをいいことに愚痴もぽいぽい放り込まれるんじゃないかなってかんじで。でも実際愚痴っぽい愚痴って滅多にないよなあ・・・。まあ、そんなもんか。最近は私信っぽいのとかそんなんが増えてるよなあ、あんまりブログに人の名前を出すん好きじゃないからかなあ?まあ差し障りありそうなことを、そういうことにしておこう。(わっけわかめー)

じっとしてるのってほんと簡単だよなあと思った・・・。何かをしたとして、すごいことをした気になってもほんとは全然何も出来てないんだ。ちらりと自分のやったことを振り返ればあれ?って思うほど少ないものなんだね、やってる間は無駄に広がっているのに終わったら小さく収まってしまうから。何かをしているときが終わったときよりもすごいことをやっているんだって、でもやってるときには実感する余裕がなくて終わってから小さくなったそれを見る。小さくなったそれを見て、まだ前に立ちはだかる大きなものに達成感を粉々に砕かれる。何の話かって言ったら大したことはありません、でもとっても大したことある勉強です。数時間かけて英語を終わらせて、ふう、あと数学と古典だ!と思ってふと考えてみると英語しか終わっていない。数学と古典を見るととんでもなく恐ろしい鬼門が立ち並んで、うわぁあああああああ・・・!(なんてばかばかしいオチなんだ)(でも当人には笑い事じゃないんだよ)

にしても、最近頭が平和化している気がする。いいのか悪いのかー・・・平和化っていうか、うん、そんなかんじ?つらいことがあってもまだ冷静でいられるけれど、喜ぶ方向に感情が高ぶることがあると冷静じゃなくなるってういか。あ、テンションが高いか低いかなんかな、私としてはテンションと冷静さが反比例かな?こう考えると頭の平和化っていうのはテンションが高いってことか、いいのか悪いのかー・・・笑。でもやっぱよくないこともあるよなあと思う、いいんだけど、周りが見えてないのは嫌だなあ。テンションが高いのって横槍が入ると酷く反転しやすいんだよ、そらもうくるっと裏返って一気にしわ寄せて。ここで冷静に考えられただけまだ私は成長したってことなんかな、それでもごめんなさいって言えないのは変わらない。人にお礼を言うんとか謝るのとか、そんなのがずっと苦手です。話逸れてる笑。なんでか言えないんだよ、落とした消しゴムを拾ってもらったそんだけでも喉が張り付いてありがとうって言えなかったりする。言えても緊張してんのがばればれな思わず笑いを誘ってしまうようなありがとうになるんよね。心の中だけで思っても仕方ないのになあ・・・まだ言わなきゃいけない、っていうんと自然と出るっていうのがごっちゃになってるんだろうなあ。なんとなく人と仲良くするのが苦手っていうことがわかった気がする、私は同い年ばっかりのクラスの女子にも敬語じゃなく話しかけるのがすごい苦手だった。これから先関わらないその場限りの人ならどうにも対応出来るのに、この先関わるだろう人に対しては恐ろしく引っ込み思案で小心者でどこからどう見ても第一印象は大人しそう、地味。だから仲良くなった人には最初と全然違うねみたいなように言われるんだよ・・・笑。人と接するんが苦手、言えるよなあと思う。年下はまだいけるけど年上はもう無理だし、おばさんぐらいまで年上になると大丈夫だけど・・・ほんとに何にも言えない人になるんだよなあ、それでもふとした瞬間に妙な本音で突っ込みを入れるから不思議な人とか言われるんだ。たまに自己主張してるから不思議な人で、話し合いだと妙な考え言うから悟りを開いてるとか長老だとか言われるんだ。くそう、嬉しいような苦いような。(うわー)
どこに居ても本音ってそんなに言えるもんじゃないんだよね、それは詰まって言えなかったり自分が言わないほうがいいと判断したものだったり。本音って言わないとすごい自分の中で残る、だから人との付き合いもこの人は本当の私を知っているわけじゃないんだ、そんな風に思う。そういう人も多いような気がする、わかんないけどね笑。ものすごい私論だけど、確かに本音は言ってないけれどそれは自分が考えたことを言ってないというだけ。普段人にどう反応するか考えて対応する、そんなことはほんとに少ないものだと思うんよ。反射と似たようなかんじかな、脳まで情報はいくけれど、理解するだけで別段考えることはしないような。笑うことにいちいち笑おうと考えて笑うことなんてないし、驚くのに驚こうと思って驚くこともない、そんなかんじ。考え方こそが自分だと言ってしまってはしょうがないけれど、何かに対する一つ一つの反応も人によってちょっとでも違うと思うし、そういうものが重なって個人が出来てる気がするからー・・・うーん、まあ、それで自分をさらけ出してるんじゃないかなって。たぶん人が人を嫌うのは簡単に出来るんだよ、それこそ笑い方が気持ち悪いとか服がおかしいとかそういうことだけで。それでも仲がいいっていうのは、やっぱり自分を知ってて好きでいてくれるってことなんじゃないかなあと思う。本音を言わないなんて些細なことじゃないけどまあ知れたことなんじゃないかと思う、小さいことは大きく見えるもんなんだよたぶん!あと、また逸れる余談で、他人にとっての大したことと些細なこと、自分にとっての大したことと些細なことを分けることが出来たら色々上手く生きてけそうだなと思った。
・・・・・・なんかいつも以上にまとめれてないっていうか、あれだよあれ、最初から書くつもりじゃなかったからだよねこれは。・・・・・・。
あ、も一つ。私のことだけど、他の人にも当てはまるのかどうかは知らない。酷い負けず嫌いだけれど、それの終着点は人より劣っているとそれでその人が自分に呆れるんじゃないかと思って嫌われる。そういうところに行くんじゃないかと思った、ただいつも以上に言い切れない。ただ単に人と競争するのが好き、そういうところもあると思うから。けど、負けず嫌いの少しには、確かに人より劣っているのが怖いっていうそういうものがあると思った。ちょっと自分に呆れる瞬間。笑
久しぶりなようなうだうだ話でした。(まとまりないんだよ馬鹿ヤロー!)

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