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聞いても得するこたあない私の話だぜ。あっそうとしか思いようがない話ですぜ。
これでもいじめられてた経験を活かして生きれてると思うわけだけど、やっぱり全部いい方向には向かないもんなんだなあ。どうしても自分より能力の高い人間には怯えているというか、怖がってるというかそういうのがなくならない。いじめっ子と重なるからじゃなくってああこいつ下手だなあ鈍臭いなあとそういう反応をされてるんではないかとなるわけよ。いじめられてたからか人に鬱陶しがられるということに酷く敏感な気がする。もちろん他人になったことはないのでどうかはわからないけどさ笑。何かと出来ることが多いほうだと思うし人に劣っているっていう状況にほんと弱いと思う。ふと思い出したように現れるその状況に怖がってる自分がいてさ。人に関わってると色んなことに気付かされる、自分の馬鹿なところにどうしようもないところに幼稚なところ。気付けてるんだからどうにかしたいなあと思うんだけどなあ・・・条件反射のように見に沁みついてる。世の中には自分より優れてる人なんて溢れてるのにどうやってこの先生きていくつもりですかあんた。しどろもどろな会話を繰り返す自分が見えるようよ、ちなみにその場限りの人とはぼちぼち話せる。先の付き合いもあるだろう人とは話せない。鬱陶しく思われたくなくて逆に詰まらない返事しか出来なくなるんだよね、何か言われたらそうなんですか!言ってる自分が笑えてくるって。お前そんな詰まらない人間じゃないだろって。
まあ、誰にだって怖いものはあるもんかなあなんて。小さい頃怖かったお化け屋敷は大人になったら怖くなくなるもんなんかなー・・・この根っこさえ切れればなあ、どうしようもなく楽しく過ごしていけるだろうに。これが自分ですなんて受け入れたくはないから機会があれば縁ちょっきん出来ないものかと模索してみたいわ。他人に特に思わない分か自分に嫌悪する時間が長い。
でも腐っても冗談でしか泣き言は思わない、ただ悩むだけじゃない自分は好き。笑
オンラインブックマークについて説明されてるサイトさんは結構あると思うし、探したら見つかるでしょうということで・・・
やっと書いてみようかなって気になった肯定否定の話、とりあえず何を肯定して何を否定するのかっていうのは人です。なんか久しぶり過ぎてどう書いたらいいかわからん、けどまあいつも通り読んでいいけどまあさらりと流す方向で笑。大まかに分けてみると二つ二つあるところの四通りで、まず他人を肯定するか否定するか、それから自分を肯定するか否定するかってところ。ちなみに大分内容忘れたからすかすかになる気がする。(・・・)
ちょっと言った順番と違うけど他人を否定する場合、簡単に言うとー・・・なんつーの?色んなのがあると思うんだけど、相手の功績を認めないだとか、そういうのが一番わかりやすいかな。相手を否定、そのまんま。人を認めないっていうところで、おまけにそこに自分の肯定がついてくるとちょっとやな性格になる笑。人を認めないってのは大げさな言い方になるけど、案外そうでもないっぽいことも入ると思うのよね。人の肯定を考えるとまんまその反対だから、たとえばの話をするとなかなかすごいことになるんだけど・・・人を殺して、なんであんなことするんだってったらそれも人の否定になるとまあ私は勝手に思ったわけよ。人には考えてることがあってそれで追い詰められて本当に殺すしかないって気持ちが限界までいって、そして殺したっていうね、考えもしない人からいったら確かになんてあんなことをになるけど、本人からしたらあんなことじゃ済まないよね。ただ画面越しに見ただけで、気が狂ってると言うのは何も人のことを理解しないまま否定していると思う。自分は所詮聞いただけで事実を知っているだけで、そこにどういう心境があったかなんて些細もわかっていないものだったとわかっていない。想像したって自分が人を殺したことがないとわかるものじゃないだろうし、何を考えたって自分がそのことについて結局は他人事だと認識していることに気付くべき。実際に現場の関係者だったならなんてあんなことをの一言じゃ済ませないと思うんだよね、実際に居たことはないからわからないけど。考えてみた人の否定っていうのは、そういうことも入る。気持ちを考えた上でそれでもやっぱりあんなことをっていうのは、それはまた別の話になるのかなー・・・いや、それも否定に入るかな。ただ、理解した上での否定であるということかな、それは。たとえば、人を殺した人があとであのときなんてことをって思ったら、やっぱりそれは過去の自分の否定に入る気がするし。たとえばの話が殺人者の話で大げさで身近にはわかりにくいよなあ、もう一つたとえばを言うならー・・・えー、うーん。そうだなあ、些細なことならいくらでもほいほいあると思うんだけど・・・何でこの人こんなに厚化粧なの、とか?この場合はその人はそれがしたくてやってるんだよっていうのが反対の肯定になるから、考えるかどうかはともかく否定ではあるかなあと。そんなのが、他人否定。
そいでから他人肯定の場合、まるっきり他人否定の逆。途中でもちらほら話をした通り、たとえばで言うなら人を殺した人は、その人にもそうなってしまうぐらい追い詰められることがあったんだなってそう思ってなんでそんなことをとは思わないこと。言うならば恐ろしいぐらいの寛大さ、とでも言うのかなあ・・・うん、そんなかんじ笑。ただこれはちょっとクレイジーな考え方だと思う、行き過ぎると危ないところがあると思う。いくところまでいってしまえば、自分は人に殺されました、だけど私を殺した人にも殺したいぐらい私を恨んでたんだから仕方ないよねってなるからちょっとクレイジー。とりあえずなんでも相手の立場を考えてみて納得してしまうそんな考え方だと言っても過言ではないかな、それが他人肯定。
それから自分の話で、どっちからしたらいいのかー・・・えー、やっぱり否定からのほうがいい気がするなあってことで自分否定。これは結構あるかんじかな、自分が嫌いってやつ。なんでこんなに鈍臭いんだろうとか不器用だとか、まあ人それぞれだろうけれどそういうこと。反省じゃなくて、後悔は少しだけ近いかもしれない否定。他人と比べて自分をとぼしめる、謙虚じゃなく私は駄目だとか。いまいち具体的なことが書けないのは私にその気があまりないから・・・かなあ、ううむ・・・いや、だってそのまんまだよねコレ。うん、そうわかりにくいやつでもないしそういうことにしておこう。
最後に自分肯定の場合、半分はナルシストってのが近いかなあ笑。ああやってしまった、だけどこれはこれで仕方なかったんだなあ、このとき自分はこれがいいと思ってやったんだからこれはこれで。良かったとは言えないけど後悔はしない、そんな・・・過去の自分肯定だとこんなのかなあ。何かに失敗したけれど、後悔してもどうもならないしこのときは自分がこれに決めたから、と否定しない考え方。ちなみに前向きとはまた違う。肯定するというよりも否定しないって考えたほうが簡単かなあとは思う。やってしまったー、けど失敗も自分の経験になるってあはは、ってような。楽観的とかナルシストに近いかもしれないような、そんなかんじで、ある意味。あくまで自分を肯定して考えることで、でも反省しないっていうのとは違うと思うのよね。うーん、落ち込まないとでも言うのか・・・多少無駄を省いた考え方かなとそういうところもあると思う、反省はするけど落ち込まないっていうのが。説明しにくいなあこれ・・・笑。たとえばテストで間違った、けどテスト中はこれしか思いつかなかったわけだしまあ仕方ないでしょう、ここはこれ、うんわかったわかったってそんなかんじかなあ。これを書いてれば・・・とかそういうのはあまり考えないかんじ?言葉を変えるとまあ、反省はするけど後悔しないってところ。そういうのが、自分肯定。わかりにくいけど・・・おお。
以上のこの四つが肯定否定の話。ちなみに私は基本的に他人肯定自分肯定です、知ってるよ多少自分にナルシストっぽいところがあるところは、知ってるもん。つーか人間だれだってそういうところあるんだよチクショー。(・・・)もちろん完全に肯定に偏った考え方ってわけじゃないし、他人否定はあまりないかなとは思ってるんだけどまあ気付かないところでやってるのが否定だと思うからー・・・まあやってると思うよ笑。ちなみに言葉からどっちが悪いだとかつきそうだから他人肯定のところにちょっとクレイジーとかクッション置いといたんだけど、置いた通りで、否定が悪くて肯定がいいとかそういうのは基本的にないと思う。これも私の言った他人肯定に入ることになるかな、人の考えは人それぞれっていうね。笑
ただあくまで肯定否定の区切りじゃ何にも決まらないし、人の性格とか他のこともぐちゃぐちゃと絡み合ってくるから一概にどうだと言うことも出来ないし、どうだってこともないんだけど。ただこういう区別の仕方を考えたなってだけ。私の前にこういう考え方をした人がいるのかどうかは知らん、今までに書いただらだら話もそうなんだけど。理論でもないし、あくまでなんか言ってる奴がいるなーで気に入ったところだけ抜いてあとは流してしまったらいい、よろしくない考え方も知らんうちに移ってるかもよ笑。
余談で、自分否定に結構傾いた人が鬱とか、そういうのが多いんじゃないかなとはちらりと考えたけれど。肯定してたらそういう方向には繋がらんと思うのよね、たぶん笑。ただ誰だって落ち込むときはあるし、何もかも肯定の奴は終わってると思う。なんていうの、それはあまりに人間らしくない、人間らしさって綺麗そうなところにはないと思うから。
なんつー久々のだらだら話でしたとさ。