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夢という単語の意味の四番目ぐらいだったかな、すごい楽しい思いをすることとかそんな意味があったと思う。夢小説っていう言葉はそこからきているんじゃないかなと思った・・・まあ夢を見ているんだよーってことかもしんないけど。うーん、全部かな?笑
なんか胡散臭いかんじというか幼稚っぽいというか、そんなかんじがして私自身は普段あまり夢小説って言葉は使わず単に話、とか文章とかそんな適当な言葉で指してきた。まあそれは余談、夢小説ってふとどういうもんなんだろうなあって思った。なんとなしに思いついた話を書いてこうやってサイトが出来てるわけだけど、どういうものなんだろうなと。ほんとはそんな難しいことなんてないんだと思う、ただ単にそういうものがあればいいと思われたから夢と言う文字に小説って言葉が引っ付いた。起源はとっても浅いところにあると思う。
人が感じることにも考えることにも限りはなくて、十人十色(これ打とうとしたら絶対間違えて住人トイレって打つんだけどどういうことよこれ笑)って言うように千人居ればその通り千の感じ方があると思う。たった一つの話でも、どう思うかは人によって違うんだろうなと。
私の根本の持論は人が何考えてるかなんてわかるわけないってやつで、それが当たり前だと思ってるわけなんでまあ勝手にそういう設定で話を進めようっと。だってなんとなしにわかっても絶対そうだとは言い切れないじゃないですか、それが簡単なことならともかく、深いことであるほどそこら中に伸びてる思考の根を読み取るやら想像するやらなんて無謀じゃないですか。たとえ主根がわかったとしても些細な側根の部分は絶対わかりゃしませんって。おっと余談余談、考え方は人それぞれー。
そう考えつつも、思うのが嬉しいことにはまだ差が少ないんじゃないかなと思った。悲しいことっていうのは酷くその人の性格が表れると思う、たとえばお前なんか嫌いだと言われたら大抵の人は悲しいんじゃないかなあ?でもそこからどういう方向に側根が伸びてくかはかなり色んな方向があるんじゃないかなあと・・・私だってお前のこと嫌いだ、嫌われるようなことしてたのかな、私が何しようが勝手でしょ、あっそうじゃあもう付き合わない、まあ色々あるんじゃないかと思う。どれも考えるかもしれないけれど、やっぱり人によって強く思うことが全然違ってくるんじゃないかと。
逆に嬉しいことは、その先がないんじゃないかなあ?嬉しい、よかった、安心感、高揚感、まあどれも知れた程度で止まるものじゃないかと思う。嬉しいということは何か悪いところがあったわけじゃなくてそれで終わりっていうそんなかんじで、嬉しさの大きさは人それぞれだろうけどそこから何を思うかってのはー・・・そんなに考えることはないんじゃないか、むしろそれで終わりなんじゃないかと思う。喜劇がよかったなと幸せな気分で終わるのに大して、悲劇はずーんと引きずったりするものなんじゃないかなあ・・・うーむ、まあ悲しみのほうが根が深いと思うんです。嬉しいっていのは終点のような気がしてる。もちろんそこから乗り換えとかはあるかもしれないけれど、とりあえずそれはそれで一つ終わったことなんじゃないかなと。
人の考えることは色々あるわけだけれど、一つのことに対して、嬉しいと感じることにバリエーションがないのに大して悲しみにはバリエーションがあるんじゃないかなあと、そういうことをちらっと考えたりして。
吹っ飛んだ話が戻ってきて、夢小説っていうのは自分が登場人物になってその心情も書かれる場合が多い。そのヒロインが取る行動も性格的な面が反映されて、合わなかった場合はそれに対して嫌悪感を抱くってこともあるんじゃないかと思う。私には何度もあったりするわけですが笑。それは心情にも言えることで、考えが合わないことなんて普通にあることなんじゃないかなと。
性格的な面での行動は、もうそれは仕方ないだろと思う。それは自分に合ったヒロインを見つけなさいってだけだろうと。一つのサイトに色んな性格のヒロインが居ればそれはそれで・・・気味悪くない・・・・・・?なんか考えると頬引きつるんですけど・・・。
そんで心情だと、性格よりも顕著に人の違いが表れるんだと思う。前々から薄く思っていたんだけど、お父さんが死んでからある日死ネタを読んでそれが著しくなった。馬鹿じゃねえのそんなこと思うわけないだろ、そんな薄い考えなわけないだろとか思うわけですよ。どうしても合わない。でもそれは人の考えだからどうしようもなくって、その人が思うことと私が考えることが違うのは当たり前だろうし。喜劇に終わる話だと、やっぱり何かがあってそれに対してよかったなあということ、それだけで終わってしまうんだろうなあと。どうこう言われて、それに対して笑って終わる、まあ書いた人が上手いと気分が少し良くなったりとか?それに大して悲しいほうの話はそれだけ考えることが多いと思うから、長い心情を書けばそれだけ引っかかるところが増えるものだと思う。
ちょっと自分でもぐるぐるしてきたんだけど、夢小説に向いているのはやっぱり嬉しいほうの話なんだろうなということ。もしくは、悲しい話だけれどヒロインの心情は書かれていないという場合。そんで心情っていうのも、何かの考察なら別に大したことはないと思う、向いてないのはあることに対するその感情の面。極端な例、私の頭が沸騰したのは好きな人が死んじゃってそこでヒロインの寂しい心情が書かれていたところ。嬉しい話はまあなんでもありだと思う、けど悲しい話はなんでもありではないよなあと思った。読むなら自己責任だぞっていうのは軽くへえって理解してるようなもんだけど、結構大事なんじゃないかなと思ったりして。
どうしよう考えてたこと書き忘れてそう、ってかこれ自分でもわけわかめになったってー・・・思ってたことが書ききれてない気がする、まとめれてないっていうのが正しいかも。
そんで書いてて思ったんだけど、ちょっと逸れた話。話に書かれている心情に引っかかることがある場合、それってまだいいんじゃないかなと思った。それは違うだろ、そう思うのはいいことかなと。多かれ少なかれ全く同じことを考える人なんて居ないわけよ、私の中ではそういうことになってる笑。そうやって少しなりとは違うのにその書かれた心情に納得したり確かにと思ったりした場合、だんだんとその人の思考に巻き込まれていくんじゃないかなと。自分とは小さな違いがあったのに、その人の考えに引きずり込まれる。それなりに自分とは違うと思うところがあったのに、読んでいるうちにそのヒロインの性格が自分の性格にも影響を及ぼす。なんか胡散臭さ漂う話だけど、実際これはあると思う。私は人より樹立させた自分の考えを持っているほうだと思うけれど、正直読んだ話の影響を微塵も受けてないなんて言い切れない。その話を読んでヒロインに同感することで自分の人格が僅かにでも変わる、夢小説にはそういった危険性があるかなと思った・・・人によっては別に危険じゃないかな?私としては人に影響されんの嫌いだから非常に危ないことだけど。笑
いやーだなーあ、嬉しい話が向いてるどうたらこうたらが・・・なんか、上手くまとめれない。駄目だな考えてたことすぐに忘れちまうな、ちゃんとした最終的なことがあったはずなんだけど。話でいうならオチ忘れたってやつ?なんか曖昧なまま終わってるじゃないですかー、え?こんだけ言ったのに終わりこんだけ?みたいなそんな雰囲気ありませんか。(訊くなよ)なんかだらだら書いて後味悪いってやだ!うわん!(・・・)
ああ、あとそれから、夢小説って甘いとかシリアスとかほのぼのとかそういうのに区切られるあたりがもう幼稚だと思った。自分でも言っててなんですが、そういうので区切れてしまえる話って知れてるよなって思ったりした。確かに自分が楽しむためにはそういう傾向も大事だと思うけど、夢小説というものでは良くても文章として全体を見たなら酷くつまらないんじゃないかと思う。いや、ちらっと考えただけ。
夢小説において上手い人ってのは、極論をそうだと思い込ませるほうに持ってける人なのかもしれないなあなんて、そんでそれは同時に読むと酷く危険かもなあなんて。人から染められて譲り受けた考え方は事にぶつかるときっとすごく脆いよ、自分の考えがしどろもどろにまとめられなくなると思う。それはいいなと思った考えを自分のものにしたいと思うなら、一度それについて深く考えて根本から納得することが必要不可欠だと思う。言われたことをわかってるってそんなこと、っていうのと同じこと。
前に一度使ったネタなんですけど、廊下を走るなと言われても走る人。自分で他人の迷惑をわかっていながらその上で走るならそれは自分の考えの上だ、私はそのぐらいは別に構わないよ。そんで、走るなと言われて走らないのは普通だってそっちの場合。そんなの当たり前だ、けど自分で人の迷惑になるから走らないんだと考えるかどうか、そこが大事なとこだと思う。一つのその考えに対して、何故だというのがわかっているかどうか。考え方なんて上辺だけそうだなと納得してもそんなもの身にはつかないだろう。こんなちょっとしたことなら問題はないだろうけど。
いやー・・・言いたいことまとめられなかったような忘れちまったようなそれが心残り!書いてる途中に影響されるってことに考えが伸びてったのはいいよなあと思う、こうやって書くのっていいよね。私は書きながら色んなほうに考えが伸びる人なんだなあとちょっと思った、だって話書いてんのだってプロットとか何もなしで適当にやってたらなんとかなってるような気がする、え、どうだろいやなってないかもあれいやちょ、あー・・・うん、まあ・・・。書くことはいいよ!(・・・)