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ここって確か愚痴を書きたいと思って生まれたはずだったんですが、いや違うなあ?愚痴を書きたかったんじゃなくて、なんかメモには長いうだうだなことを書いてやろうそんなつもりで生まれたわけですよ、そして見る人がほとんど居ないのをいいことに愚痴もぽいぽい放り込まれるんじゃないかなってかんじで。でも実際愚痴っぽい愚痴って滅多にないよなあ・・・。まあ、そんなもんか。最近は私信っぽいのとかそんなんが増えてるよなあ、あんまりブログに人の名前を出すん好きじゃないからかなあ?まあ差し障りありそうなことを、そういうことにしておこう。(わっけわかめー)
じっとしてるのってほんと簡単だよなあと思った・・・。何かをしたとして、すごいことをした気になってもほんとは全然何も出来てないんだ。ちらりと自分のやったことを振り返ればあれ?って思うほど少ないものなんだね、やってる間は無駄に広がっているのに終わったら小さく収まってしまうから。何かをしているときが終わったときよりもすごいことをやっているんだって、でもやってるときには実感する余裕がなくて終わってから小さくなったそれを見る。小さくなったそれを見て、まだ前に立ちはだかる大きなものに達成感を粉々に砕かれる。何の話かって言ったら大したことはありません、でもとっても大したことある勉強です。数時間かけて英語を終わらせて、ふう、あと数学と古典だ!と思ってふと考えてみると英語しか終わっていない。数学と古典を見るととんでもなく恐ろしい鬼門が立ち並んで、うわぁあああああああ・・・!(なんてばかばかしいオチなんだ)(でも当人には笑い事じゃないんだよ)
にしても、最近頭が平和化している気がする。いいのか悪いのかー・・・平和化っていうか、うん、そんなかんじ?つらいことがあってもまだ冷静でいられるけれど、喜ぶ方向に感情が高ぶることがあると冷静じゃなくなるってういか。あ、テンションが高いか低いかなんかな、私としてはテンションと冷静さが反比例かな?こう考えると頭の平和化っていうのはテンションが高いってことか、いいのか悪いのかー・・・笑。でもやっぱよくないこともあるよなあと思う、いいんだけど、周りが見えてないのは嫌だなあ。テンションが高いのって横槍が入ると酷く反転しやすいんだよ、そらもうくるっと裏返って一気にしわ寄せて。ここで冷静に考えられただけまだ私は成長したってことなんかな、それでもごめんなさいって言えないのは変わらない。人にお礼を言うんとか謝るのとか、そんなのがずっと苦手です。話逸れてる笑。なんでか言えないんだよ、落とした消しゴムを拾ってもらったそんだけでも喉が張り付いてありがとうって言えなかったりする。言えても緊張してんのがばればれな思わず笑いを誘ってしまうようなありがとうになるんよね。心の中だけで思っても仕方ないのになあ・・・まだ言わなきゃいけない、っていうんと自然と出るっていうのがごっちゃになってるんだろうなあ。なんとなく人と仲良くするのが苦手っていうことがわかった気がする、私は同い年ばっかりのクラスの女子にも敬語じゃなく話しかけるのがすごい苦手だった。これから先関わらないその場限りの人ならどうにも対応出来るのに、この先関わるだろう人に対しては恐ろしく引っ込み思案で小心者でどこからどう見ても第一印象は大人しそう、地味。だから仲良くなった人には最初と全然違うねみたいなように言われるんだよ・・・笑。人と接するんが苦手、言えるよなあと思う。年下はまだいけるけど年上はもう無理だし、おばさんぐらいまで年上になると大丈夫だけど・・・ほんとに何にも言えない人になるんだよなあ、それでもふとした瞬間に妙な本音で突っ込みを入れるから不思議な人とか言われるんだ。たまに自己主張してるから不思議な人で、話し合いだと妙な考え言うから悟りを開いてるとか長老だとか言われるんだ。くそう、嬉しいような苦いような。(うわー)
どこに居ても本音ってそんなに言えるもんじゃないんだよね、それは詰まって言えなかったり自分が言わないほうがいいと判断したものだったり。本音って言わないとすごい自分の中で残る、だから人との付き合いもこの人は本当の私を知っているわけじゃないんだ、そんな風に思う。そういう人も多いような気がする、わかんないけどね笑。ものすごい私論だけど、確かに本音は言ってないけれどそれは自分が考えたことを言ってないというだけ。普段人にどう反応するか考えて対応する、そんなことはほんとに少ないものだと思うんよ。反射と似たようなかんじかな、脳まで情報はいくけれど、理解するだけで別段考えることはしないような。笑うことにいちいち笑おうと考えて笑うことなんてないし、驚くのに驚こうと思って驚くこともない、そんなかんじ。考え方こそが自分だと言ってしまってはしょうがないけれど、何かに対する一つ一つの反応も人によってちょっとでも違うと思うし、そういうものが重なって個人が出来てる気がするからー・・・うーん、まあ、それで自分をさらけ出してるんじゃないかなって。たぶん人が人を嫌うのは簡単に出来るんだよ、それこそ笑い方が気持ち悪いとか服がおかしいとかそういうことだけで。それでも仲がいいっていうのは、やっぱり自分を知ってて好きでいてくれるってことなんじゃないかなあと思う。本音を言わないなんて些細なことじゃないけどまあ知れたことなんじゃないかと思う、小さいことは大きく見えるもんなんだよたぶん!あと、また逸れる余談で、他人にとっての大したことと些細なこと、自分にとっての大したことと些細なことを分けることが出来たら色々上手く生きてけそうだなと思った。
・・・・・・なんかいつも以上にまとめれてないっていうか、あれだよあれ、最初から書くつもりじゃなかったからだよねこれは。・・・・・・。
あ、も一つ。私のことだけど、他の人にも当てはまるのかどうかは知らない。酷い負けず嫌いだけれど、それの終着点は人より劣っているとそれでその人が自分に呆れるんじゃないかと思って嫌われる。そういうところに行くんじゃないかと思った、ただいつも以上に言い切れない。ただ単に人と競争するのが好き、そういうところもあると思うから。けど、負けず嫌いの少しには、確かに人より劣っているのが怖いっていうそういうものがあると思った。ちょっと自分に呆れる瞬間。笑
久しぶりなようなうだうだ話でした。(まとまりないんだよ馬鹿ヤロー!)