[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
何のために勉強するのって言われたらわかんないけど、お父さんがしろって言うと思うからでいいような気がするの。なんか今日は疲れたからか感傷的。今日っていうか昨日になるんかな?零時過ぎて日付変わった。
お父さんが言うと思うから、きっと勉強してたらよしと頷いてくれる気がするから。でも本当は私の中でそうだろなってだけで、実際には私が勝手に勉強してるだけなんだよ。もし大学受かったらって考えると、その場で泣いてしまう気がする。それだけ必死に苦しみながら勉強して、やっと終わって合格して努力が報われた瞬間でも、それでも根強くお父さんのことを思い出して泣いてしまう気がする。合格しても隣で一緒に喜んではくれないわけだ。高校の発表のときに一緒に行っただけに、そのときのことを鮮明に覚えてるだけに泣いてしまうような気がするの。嬉しさ少し、悲しさ少し。
ねえ、お父さん、私合格したんだって、聞いてる?もちろんどんだけ言っても思っても聞いてないよ、私が消えるまで引き連れてく届く先のない手紙だよ。返事なんて待っても仕方ない、わかってるから待ってないよ。
お父さんがまともに会話も出来なくなってから考えたことも色々ある、高校に入りたての頃はまだ金魚の糞ごっこをしてたから。居なくなってから得るものも多いってわかるよ、ただ居なくなるっていうのはなるなって思ってもなるし、もちろんなってほしいって思ったからと言ってなるものでもないんだよね。不可抗力ってこういうことを言うんだろな、なってしまったものは仕方がない。
今の自分が好きじゃないわけでもないよ、でももう少しくらいお父さんの後ろで馬鹿やってても良かったんじゃないかなって思うんだよ。お父さんだって大学行ったらもう放任ってようなことをちらりと言ったことがあったわけだしさ。私は高校だったけど妹どうなの、まだ馬鹿ですらないよ。
死んでしまったからこういうことを書くんだよ、お父さんはもう私がこんなん書いてんのを見ることもないんだー。生きてこれを見たならどんな反応が返ってくるんだろうね、わかんないのはお父さんと話してた頃は私はこんなことを書くような人じゃなかったから。なんとなくこうかもしれないっていう想像は出来る、けど話すこともなくなってから出来てきた私の部分だからやっぱりわかんないね。お父さんからしたらどうなんだろうなあ、私が無駄に考えたりすることっていいと思うんかな、よくないと思うんかなー。
また違ったタイプのうだうだ話、久しぶりでした笑。これって書いてる私自身はほいほい書けてしまうんだけど、読むほうってねえ・・・人によりけりだと思うんだけど私は人のこういうん読んだら大抵はイラっとくるほうなんだよね。(えええええ)
まあ暗い考えからふらっとこうして浮上してこれるあたり成長したんだろうなと、ちょっとだけ思ったりして笑。客観的というかなんというか、まあそれが感情の面でも活きてきたかなあと思う。
ところでもうそろそろ年末だ、大晦日かまあそのあたりにあけましておめでとうは遠慮だなあなんてことをここじゃなくてメモに書くつもりにしてるんよ。これで年明けてあけまして!って人が来たら笑えるよなあとか考えてたり・・・。こういうあたり私の性格は悪いというか捻くれてるというか、自覚があるだけ性質が悪いというか・・・馬鹿な人が嫌いじゃない性質の悪さ?なによこの人、じゃなくてあははと笑うあたりがちょっとネジ飛んでんじゃないかなと自分でも思う。(・・・)友だちと喧嘩して多少それを楽しむところがあるあたりね、冷静じゃないなあなんて思うあたりね、ちょっとどうかと、思、う・・・結果的に相手の気も抜けてよかったんだけどさ。最近はなくなってるようなと思ってたあたり、このあけましての件でなくなってなかったことを思い知る・・・こういうのが一種のSなんですか。そういうもんなんですか、エスですかこれ。どうなの。(・・・)
浮上しすぎて泣けてくる・・・笑。