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朝起きてでも食欲がなくてココアを一杯飲んだだけで、ついでに始まったばっかりの二十日二ヶ月二十日二ヶ月のある意味定期的にくる生理であまり体調は良くなかった。頭もぼうっとしてたから、これは危ないかもなあと思って自転車をやめてバスにした。坂の途中でふらっといって道路に飛び出しておしまい、そんな笑い話のような生涯の終わりはごめんだしね。それでも酷い上り下りばかりの学校への道ならまだなんとか頑張ろうという気になるけれど、目的の駅までの道は本当に上りばかりだった。それも緩やかなのは一つとしてなく、全部急にぐんと上るもの。一度走り出したなら何が何でも最後までという根性と意地も、出てくる前に抑えてしまえばなんてことはない。走っている途中で力尽きてやっぱり自転車を押す、というのはないから、意地と保身を天秤にかけるとここはバスで行くのが妥当だったのだ。なんてことはないと言っても、小雨とか生理とか、朝抜いたとかそのぐらいだったら普通に出かけるものだ。簡単に言ったが学校への道だって上りも下りも相当きついのだ、それでも生理ぐらいと思って根性と意地で走り出すだろう。つまり、保身を考えたほうがいいほどに目的の駅への道は険しいということなのである。本当に家の周辺、ここら一帯に真っ直ぐな道はあるのかというような土地だった。自転車ではどこへ行くにも必死に坂を上るか、気持ちよくときに危ない坂を下るかぐらいしかないのである。平らな道なんて、今考えても坂の合間の本当に短い距離ぐらいしか思いつかないぐらいだ、本当に凸凹な地形である。そして、今日は危ないと考えてバスに決めた。
朝、ギリギリのバスに間に合ったのは良かった。けれど一つ思い知る、たった五十メートル、うち半分ぐらいは上り坂という道を走っただけで左の足の裏は痛くなった。負担をかけるべきではないしさらに面積も狭く土踏まずがない左の足は普段も申し訳程度にか使っていないのだ、だからこそ器用な使い方が出来ない。器用と不器用を同時に体感するというのは不思議なもので、歩いているときだって階段の昇降のときだっていつも左足だけが音をたてる。なるほど、力がなく不器用とはこういうことなのだろうか。少し前に自分の足音に気づいて思った、そんな余談。ともかく、私は痛む足の裏を持ったままバスに乗ったわけだ。
満員のバスでもちろん座席に座ることが出来るわけがない。バーを握って立ち、バスの揺れにこけないように踏ん張った。バーを握る手で出来る限り体の傾きを少なくし、あとは足で体重を支える。曲がるときはかかとで立ったりといつもやっていることで負担の軽減はさせていたけれど、それでもそれなりに痛かった。小さい頃から左の分も使ってもはや万能な右足だって限界がないわけではない、ときにはそちらばかりを使いすぎて右膝に痛みが走ることもあったぐらいだ。両足のバランスが未だにどこまでいっていいものか掴めていないのだ、右足はいつ悲鳴を上げるかわからないし、左足は僅かにでも下手に扱うと簡単に怪我をした。不器用なのは不便だった、両足の限界が同時にこないのも不便だった。そうして、もう少し感覚に頼るだけじゃなく物理的にも考えてみた利口な足の使い方は出来ないかと、痛む足に表情を硬くしながら到着を待っていた。思えば私に落ち着きがないのもそれだろう、女らしく足をじっと閉じてられないのも。ただ立てていただけではずっと同じ箇所に体重がかかってしまう。だから電車でもバスでも机に座るときでも、交差させて足の裏をしっかりつけなかったり、組みながら支える右足をこまめに傾けたり、ぐっと伸ばしたりしてみるのかもしれない。ずっと重心を一箇所に置いていたら、すぐに足は駄目になるだろうから。
そして勉強をしてきたわけである。別になんてことはなく昨日と一昨日と同じだった、そしてまた帰りの話。
電車に乗るため切符を買って、滑り込んできた電車の音とアナウンスに急いで改札を抜けて走った。同じように走る人は多かった、スーツの人、マフラーをはたはたとさせている人。階段に一足かけた私の前を走っていたのはブーツの人だった。そしてカツカツと忙しく音を鳴らせて上り、少しいったところで諦めたのかゆっくり上り始めてしまう。反対車線の電車がついて流れてくる人のおかげでその女の人を越せなかった私は、結局目の前で電車のドアが閉まるのを見届けることとなる。ざけんじゃねえよお前、諦めるのは勝手だが人を巻き添えにするな。後ろで急いでいる人の足音にも気づかないのか、ちょっとは周りを気にしろ。ちんたら上ってんじゃねえ。予定していたバスも予想していたもののやはり間に合わず、それどころかまた目の前で出て行かれてしまった。ちょっと怖い顔をしてたかもしれませんが色んな人と目が合いましたがまあ、何とも思わないか怖いと思ったか不快になったかは知りませんが許してくださいよ。私は一人で出るときはたいてい少し笑ってちょっとまぬけそうな表情豊かっぽい平和な面をしていて、そんでたまに今日みたいに目が合った人を不快にさせるようなよろしくない面をしてる。
とにかくあんな動くのに不適なブーツなんか履いてるからだ、スニーカーで動けるようになってから履けよ。耳に残る不器用な音響かせながら歩いてんの見たくないんだけど。ついでに周りのことぐらい見とけって。なんて、どうしようもない不満が漏れた。歩きながらでも列作ってる奴とかなんで気づかないかな、自転車が走ってる音ぐらい、ましてやベルの音ぐらいわかるでしょうが、耳は飾りかってんだ。常々人が通るところの邪魔になる奴が多すぎると思う、頭も花畑で体にも苔生えてんじゃねえの。押しのけられたことに表情歪めるくらいなら自分で気づけるようになれよ。馬鹿だなあ、とそんなことを外に出るたびに思ったりする。
まあブーツだって人の勝手だから履いてりゃいいとも思うんだけどね笑。でも上手い人は上手いよ、癇に障らないカツカツって軽快な音もあるから。音である程度動けてるか動きにくそうかはわかってしまうもんじゃない、だから下手な人見たら簡単な靴にしたらいのにって思ったりね。まあ人の勝手か。笑
とりあえず気がたってました、電車とかバスに目の前で出て行かれるのが大ッ嫌いなんです、ついでに間に合うかと急いでた分余計に。ってか今の時代にブーツやめろなんて言ってたら私がふくろだたきですな、いやべつにやめろって言ってるわけじゃなくて・・・周りをもうちょっと見てよって話で、・・・・・・通行の邪魔になる人に酷い鬱陶しさを感じるというか・・・。もう別にブーツ関係ないなあ。
ついでに最近はすることがないけど、室内とかでどいてほしいがためにわざと大きな足音を立てたりする私はなかなか性格悪いと思う笑。でもね、楽で追い越せるしね。(・・・)
すっげーこと書いてるなあ、なんでもありだな!笑
私が誰の邪魔になってないかって言われるとうーんってところだけど、そこら辺の人よりはよっぽど気の利いた人なんじゃないかと自画自賛してみる。(もうなんか私終わってるって・・・)