From ground to sky Oh,tomato!
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宗教ってなんだかなあそんな話、辛口気味かも?いつものことか。
お父さんの骨を収めるために京都へ行っていたわけです。初っ端からおコツをホネと言っている辺りで無理っつーそんな方は早々に読むのをやめておきましょう、ロクな話じゃありません笑。元は死んだらなんて何も考えてなかったわけだけど、お父さんが死んでからその後の処理で何度もお経をあげるだの骨をどこにどうするだの、宗教によって細かく何はどうだったりとか火葬の棺の中では白装束を着させてだとか、やっていること全てに何らかの意味があるんだろうことは見てわかる。でも、お父さんには白装束なんか真っ白なの着るよりも泥まみれにあったコーチしてたときの野球のユニフォーム着てくれてたほうが良かったと思う。白いやれ装束だこれは手袋だ足袋だ他もろもろ、川を渡ってなんたら言ってた気がするけど私には良くわからない。死んだら死後も何もない、そこで終わり。魂がどうなるだとかそんなことは私は信じてない。むしろ信じる信じないの話じゃなくてただないんだろうって思ってる。お経をあげるだとか見ていて思うのは、死者へ意味があるともされているけれど実際には残された人が気持ちを落ち着けるためにしているみたいだ。南無阿弥陀仏で数珠を手に持って頭を下げるけれど、私はその数珠がなんで要るのかすら知らないし、お経だってただ長々と眠いだけ。どれくらいの人がお経についてわかっているのかって思う。子どもの頃はなんか独特な雰囲気のある眠いもの、大人になるとなんか神聖っぽいし静かにじっと正座して聞いているもの。そんなこと考えることがあるのかどうかは知らないけれど考えたら結局は静かにじっとしてる大人だってなんかそれっぽいから、って答えになる人が大多数なんじゃないのって。南無阿弥陀仏で手を合わせればお釈迦様が救ってくれるのよなんて、それじゃあたぶん宗教の表面の表面しか理解出来てないよ。どれだけの人が自分がやっていることについて理解しているわけ?きっと本を読むなりすれば宗教って奥が深いものなんだと思う。眉間に皺寄せて数珠つけて手を合わせる人の中にどれだけその行動の真理を理解してる人がいるわけ?そもそも手を合わせれば救ってくれるというのならばどれだけ寛大な人なんだよお釈迦様は。そういう人なんかもしれんけど笑。私は数珠をつけて手を合わせることが祈ることなのか敬意を示すことなのかお願いすることなのかもっと別のことなのか、それすらも知らないから手を合わすとかしか表現が出来ない。それぐらい私は宗教についてわかってない。死んだらそれまで、生まれ変わるうんたら以前に魂が残るということすら考えてないから救われるとか、そんなことはどうも思えないよ。ご焼香とか、額に近づける何回入れるいつ手を合わせる、宗派によって違ってごちゃごちゃしてるしややこしい。最近何度もやったお父さんのことに限らず過去も何度かやったことあるけれど、ご焼香ってそもそも一体何をしているの。器に入ってるの摘んで熱い中にいれて煙が出る、そんな見ただけでわかることはどうでもいい、そうすることに何の意味があるの?偉い人に呼びかけてるのか自身の想いがなんかなるようにとか、なんか色々ありそうだなと思うけれど。実際は何してるのかなんて何も知らない、だけど何回もやってきた。これは誰のためにやっていることなの、死人のためなのか偉い人のためなのか自分のためなのか。それすらわかってなくて馬鹿みたいじゃない。
なんかそろそろ何言ってんのかわかんなくなってきた、思ったのずらずら。笑
死んだあとなんて誰にもわからないじゃない。死人が生き返ってこない限りはほんとに誰もわからないでしょ、今までに生き返ってきた人もいないんでしょ?わからないからどっちだって決めることは出来ないけど、死んだらそれで終わりだったら極楽にいけるようにとかほんとにどうでもいいことじゃない。残された生きてる人たちが何かやってるってだけで。
いや書きたいこと忘れた。なんだかんだで全部吐いたような、いやなんか忘れてるようなうああわかんねー笑。
宗教のこと勉強してみたらとは思うんだけど、そもそも死後に興味がないからする気も起きなくてって状態です。このままいくと無宗教?で不思議な人になりそうだね私・・・笑。きっと仏壇買うぐらいならおいしいもん食べろとか言い残しそう、そんで火葬したあとの骨は山と海に放っておいて欲しいとか。間違っても偉いお坊さんと同じところには入れないでほしいって言いそうだなあ、捻くれてんなあ。
まあ、最初で力尽きてしまったなんかぽろぽろ抜けてるけど書くこと忘れちまったって話でした。たぶんどっか矛盾してるよ、抜けてる気がしてならないから笑。自分が言ったことの根元だとか支えだとかきっとそこらへんがないんだと思う、でも何言おうとしたか忘れた、うふん。そんな最終的に未完結の話でソーリー。
とりあえず、結論は意味のわからないことはやりたくないなって話なんかな?これに限らず日常生活の中でもね、何に置いても意味をわかっていたいと思う。あれ、なんか昔した話と繋がった気がするよこれ。なんかいけてんじゃない、自分の根元の考えが通ってる気がして。笑
お父さんの骨を収めるために京都へ行っていたわけです。初っ端からおコツをホネと言っている辺りで無理っつーそんな方は早々に読むのをやめておきましょう、ロクな話じゃありません笑。元は死んだらなんて何も考えてなかったわけだけど、お父さんが死んでからその後の処理で何度もお経をあげるだの骨をどこにどうするだの、宗教によって細かく何はどうだったりとか火葬の棺の中では白装束を着させてだとか、やっていること全てに何らかの意味があるんだろうことは見てわかる。でも、お父さんには白装束なんか真っ白なの着るよりも泥まみれにあったコーチしてたときの野球のユニフォーム着てくれてたほうが良かったと思う。白いやれ装束だこれは手袋だ足袋だ他もろもろ、川を渡ってなんたら言ってた気がするけど私には良くわからない。死んだら死後も何もない、そこで終わり。魂がどうなるだとかそんなことは私は信じてない。むしろ信じる信じないの話じゃなくてただないんだろうって思ってる。お経をあげるだとか見ていて思うのは、死者へ意味があるともされているけれど実際には残された人が気持ちを落ち着けるためにしているみたいだ。南無阿弥陀仏で数珠を手に持って頭を下げるけれど、私はその数珠がなんで要るのかすら知らないし、お経だってただ長々と眠いだけ。どれくらいの人がお経についてわかっているのかって思う。子どもの頃はなんか独特な雰囲気のある眠いもの、大人になるとなんか神聖っぽいし静かにじっと正座して聞いているもの。そんなこと考えることがあるのかどうかは知らないけれど考えたら結局は静かにじっとしてる大人だってなんかそれっぽいから、って答えになる人が大多数なんじゃないのって。南無阿弥陀仏で手を合わせればお釈迦様が救ってくれるのよなんて、それじゃあたぶん宗教の表面の表面しか理解出来てないよ。どれだけの人が自分がやっていることについて理解しているわけ?きっと本を読むなりすれば宗教って奥が深いものなんだと思う。眉間に皺寄せて数珠つけて手を合わせる人の中にどれだけその行動の真理を理解してる人がいるわけ?そもそも手を合わせれば救ってくれるというのならばどれだけ寛大な人なんだよお釈迦様は。そういう人なんかもしれんけど笑。私は数珠をつけて手を合わせることが祈ることなのか敬意を示すことなのかお願いすることなのかもっと別のことなのか、それすらも知らないから手を合わすとかしか表現が出来ない。それぐらい私は宗教についてわかってない。死んだらそれまで、生まれ変わるうんたら以前に魂が残るということすら考えてないから救われるとか、そんなことはどうも思えないよ。ご焼香とか、額に近づける何回入れるいつ手を合わせる、宗派によって違ってごちゃごちゃしてるしややこしい。最近何度もやったお父さんのことに限らず過去も何度かやったことあるけれど、ご焼香ってそもそも一体何をしているの。器に入ってるの摘んで熱い中にいれて煙が出る、そんな見ただけでわかることはどうでもいい、そうすることに何の意味があるの?偉い人に呼びかけてるのか自身の想いがなんかなるようにとか、なんか色々ありそうだなと思うけれど。実際は何してるのかなんて何も知らない、だけど何回もやってきた。これは誰のためにやっていることなの、死人のためなのか偉い人のためなのか自分のためなのか。それすらわかってなくて馬鹿みたいじゃない。
なんかそろそろ何言ってんのかわかんなくなってきた、思ったのずらずら。笑
死んだあとなんて誰にもわからないじゃない。死人が生き返ってこない限りはほんとに誰もわからないでしょ、今までに生き返ってきた人もいないんでしょ?わからないからどっちだって決めることは出来ないけど、死んだらそれで終わりだったら極楽にいけるようにとかほんとにどうでもいいことじゃない。残された生きてる人たちが何かやってるってだけで。
いや書きたいこと忘れた。なんだかんだで全部吐いたような、いやなんか忘れてるようなうああわかんねー笑。
宗教のこと勉強してみたらとは思うんだけど、そもそも死後に興味がないからする気も起きなくてって状態です。このままいくと無宗教?で不思議な人になりそうだね私・・・笑。きっと仏壇買うぐらいならおいしいもん食べろとか言い残しそう、そんで火葬したあとの骨は山と海に放っておいて欲しいとか。間違っても偉いお坊さんと同じところには入れないでほしいって言いそうだなあ、捻くれてんなあ。
まあ、最初で力尽きてしまったなんかぽろぽろ抜けてるけど書くこと忘れちまったって話でした。たぶんどっか矛盾してるよ、抜けてる気がしてならないから笑。自分が言ったことの根元だとか支えだとかきっとそこらへんがないんだと思う、でも何言おうとしたか忘れた、うふん。そんな最終的に未完結の話でソーリー。
とりあえず、結論は意味のわからないことはやりたくないなって話なんかな?これに限らず日常生活の中でもね、何に置いても意味をわかっていたいと思う。あれ、なんか昔した話と繋がった気がするよこれ。なんかいけてんじゃない、自分の根元の考えが通ってる気がして。笑
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