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From ground to sky Oh,tomato!
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コメント返信しててふと思ったこと、そういえば前にちらりと考えたことがあるような気がする成長と退化は同時に起こるんじゃって話。どうでもいいんだけど、たぶん昔だったと思うけど思いついた切欠の一部は酸化と還元は同時に起こるってやつじゃないかなあ。笑
話の中で成長と退化の定義としては、大きくなった小さくなったそれだけじゃなくてそこから付随する具体的な影響も含めた考えで。んでもって退化の反対は進化らしいけどまあここは人間だし身近な感じで成長ってことにしておいて下せえ。

考えた切欠の一部は今もそうだしたぶん昔もそうだったと思う、大人を見て大人であるということに疑問を持つところから。極端に言ってしまえば子どもという言葉は幼稚に繋がって大人という言葉は賢いに繋がってるんだよね、私もそうだったようなそうであるようなだし、育ってきた過程でその意識が植えつかない人はほとんど居ないんじゃないかと思う。もちろん極端に固まった言葉で言ってるだけで意識的な面では基本的に子ども<大人でしょってこと。大きくなったら偉くなる強くなるというのは小さい頃から自然と思考に染み付く考えで、それはポケッモンであるとかそんな些細なことからもきっと影響される。だって進化したら強くなるし。たまに進化すると一部の能力が下がるやつとかいたんだよね、あれになんだよそれーって思ってたからそういうことだよね、大きくなると強くなるってのはほぼ考えの根っこだったわけよ。
まあ例えば背が高くなった。今の話の中じゃ大きくなりましたねはいおしまいじゃないから、もうちょっと具体的なことまで考えてみたりする。確かに高いところのものが取れるようになったりしたよ、でも低いところのものは取りにくくなったわけよ。腕の関係もあるからこれはちょっと例えが悪いかな・・・うん、高い視線で物を見れるようになったけど逆に低い視線では見れなくなった。そういうこと。しゃがんだらいいとも言えるけれど、自然に立っていて見るのと屈んで見るのとは全然違うはず。その人にはしゃがんでいるという意識があるんだから、それは元からその高さの人とは一緒には成り得ない。上手く言えんけどまあならないと、思う。あくまで私の想像だけど笑。
そんでから例えば言葉を覚えた。それを使って色々なことが表現出来るようになったしなかなか便利になったと思う。でも伝えるのが難しいのを必死でなんとかしようとしていた自分はもう居ないわけだよ、言葉を得たならば得ていないときの時間はもう有り得ない。使わず伝えようとするのも元から知っているのと知っていないのは全然違う、言葉は思考から出てくるから。絶対に表現した際の違いが出てきてしまうからそれはもう知ってしまった後の自分でしかない。だから得ても失くしてる。
あとは例えば人を気にかけることが出来るようになった。一緒で、気にかけることが出来なかった自分はもう有り得ない。人を気にかけるということを考えなかったときの自分はもう居ないわけだよ。

ここで私はまあこんなもんかなで終わってもいいんだけど、そもそも前提としてもう一つ考えがなきゃ成り立たない考えだと思うんだよね。前提が基本でこれが応用っぽい雰囲気があるようなないような笑。
その基本的な考えがなきゃただの屁理屈になっちまわあね。背の話はまだそれだけで成り立つかなと思うんだけど、知識の話と自分の考え方の話はそうもいかないかなあと。どうして知らなかったときを失くして退化になるっていうことで、私としては何事にも善悪や良悪がないものとしての考えなわけです。定義の話。例えば主人公と戦う敵である相手はどうして悪かというところ。極端な話になれば人殺しが駄目で酷いものでやった人は悪い人だなんてどうしてそう決まる。自分の中の絶対の定義というのは他から影響されて取り入れるものじゃなくて、自分による思考の上で成り立てればそれがそうだと思う。尊敬している人に言われたことならばそれがそうであると思い込む。人格の問題もあるかもしれないね、人に流されるか否か。言われたことでもそうだと自分でその意味を納得して思ったならそれでもう自分の思考の上だと思う。でも何も考えずその通りだと鵜呑みにすればそこのはもう自分の意思は存在しない。その人を尊敬しているという強い念はあっても定義に対する考えはなし。定義は自分の思考を混ぜて作り上げるべきだと思う。それが意思があるということになると思うから。
なんかややこしい話になったけど、要は私としては知らないのが悪いことじゃないっていうことなんだよね。知っているのと知らないのでは違うと言う。知っていると納得出来る、知らないと納得出来ない、感じること全てが経験であるから別に悪いことじゃないと思うのよ。それが喜怒哀楽なんであれ損する出来事なんてないと、そういう考えだから知識と考え方の面でも私の中では成り立つ話だというね。何でも考えてみること、青になったら渡るのも廊下を走ってはいけないのも、自分が考えた上での行動であればと思ったりしているわけよ。
でも聞いたことを自分の意思の上に成り立たせるというのは結構難しいことで、そうだなと納得しているつもりで実は全然していない。自身でそうだと感じることを経験しないとさっぱりただの絵に描いた餅でしかないと思うのよ。だから実際に経験するのはもちろんだけど、でも今までにあったことを思い返せばたぶん一個ぐらい見つかるんだよね。これから経験するのを待つよりも過去を思い出してそういえばそうだったなあと納得するほうが早いと思うよ。何事も忘れず大事にしましょうなんて、先に役立つことは多いもんだ。これも私が経験したことであって云々書いてあっても自分で遭遇してみないとわからないもんだと思う。人によって感じることは違うし、もしかしたらもっと別の形で現れてるかもしれないし現れるかもしれない。日々発見そういうことですかね笑。

何の話だったか、成長と退化?はもうおしまいでいいのか。これで終わりかな、途中でやっぱり自分でもこんがらがってきたけどまあこれでいいことにしとこ。Landmarkからちょっと派生した話である気がしなくもないね。あれちょっとは定義の話入ってたかな、意思が主だったと思うけど。あの話じゃ意思と定義は近いところにあるってことかな。
ちなみに一番簡単な定義としては好き嫌いだよね。味覚って人によって違うし、ピーマン=嫌い、素敵な自分限りの定義ではありませんか笑。特に他の人に影響されることもほぼないしこればっかりはさすがに確立されたもんだと思うよ。まあ人間には思考も感情もあるんだから、こう聞いたからなんか嫌いじゃなくなったとかはあると思うんだけどね・・・味覚で全てだし、まあほとんど自分のもんでしょ。寒いとか気持ち悪いとか感覚によるものはほとんどそうかな。ただ育ってきた過程で全部定義されるものだから、人によって極僅かにでも違うものだと思うけど。酸っぱいと渋いの中間はどこであるかとか。なんか逆にわかりにくいってこれ。笑
会話するときに、自分の定義と相手の定義の違いがわかれば色々と考慮出来るし楽しいもんだよ。普通は誉め言葉にもなると知ってるけど、私の可愛いという言葉の定義はそんないい位置にないし。使うときは基本的に考えなしなのを可愛いもんだとかそんなんだから。(・・・)例えば冷たいってのだって辞書で調べたからこういうことかって納得したもんじゃなくて、全部生きてきた上で納得したことなんだから人による違いは出てくる。有名な言葉だからこそ違いなんてほぼないだろうけど、ややこしい言葉になるときっと違うもんだよ。だからこそ言葉は慎重に選べってね。自分の価値観じゃなくて客観的に見てこれを聞いて相手がどう思うか、そういうことかなあ。案外難しいことだと思うよ。

好き、冷たい、辛い、嬉しい、鬱陶しい、感じたことに当てはまる言葉があるから人間は進化したもんだよね。言葉って偉大だね・・・自分の中で自由に変えれるんが面白いところかなあ。
ぐだぐだになったところで終わっておく。笑
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