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From ground to sky Oh,tomato!
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人を諌めることってそんな簡単なことじゃないと思うんだよね。そりゃ要点としては駄目なところをこうしろって言えばいいだけなんだけどさ。それだけであって、それだけであってはいけないと思うんだよ。
何か起きてしまったとき、諌める立場にある事を起こされた人は相手から不平や不満を受けたことを自覚しなければいけない。腹が立った勢いのまま相手を叱る人が多すぎると思うんだよ、自分が怒っていると気付いていないんじゃないのかな。駄目だと言うのはもちろん良いことであるけれど、説教というのはそこに相手への不快が混じってしまえばその意味を損ねてしまうって。自分が不快を受けたと表現することもまたある種では大切。でも、起こした相手が少なくとも降下を辿った気分のところですることじゃないよ。その感情によって人によっては悪いことをしたと塞ぎ込むだとか、何でお前に言われなきゃいけないと反抗的になったりするかもしれない。このときの不快をというのは相手へもそのままの意味でしか伝わらないと思うよ、相手が普通の人でない限りほとんどの場合では。そして叱る際に自分が正しかっただろうという感情を含めるのもまた間違いだと思う。これもあまり深く考えない人が相手でない限りは相手によろしくない気分を与えると思うから。自分がやってしまって、私が正しかったでしょという口調で言われて、はいそうでしたあなたが偉かった、そんな人はほんとに数えられるぐらいしかいないでしょ。まあそれはそれで素敵だとは思うけどね、私はそうはなりたくないしならないなあと思うのよ。そんなこんなで、相手を叱るというのは難しいことだと思うわけ。自分が思っているよりもとっても難しいと思うよ。不快を感じているときに相手へ向けた口調にそれを出さないというのは。
生まれてきた不快をぶつけるのに起こした相手を使うのなら、やっぱりそれは人との関係を潰してる。どうでもいい人、嫌いな人、たとえそうだとしても違う方向でもっと堂々と出来ないのかな。正面きってお前が嫌いだって言えばいいと思うんだけど、やっぱりそれは意味がないのかなあ・・・ほんとに生き難い社会だね。誇るべきと憎むべきは人の感情ですなあ奥さん。本当に気の合う人と出会いたいものです、欲を言うならそれが宇宙人じゃなくて人間であればいいなあ笑。わかりやすく言い切れなかったけど、説教するときは自分の感情をしっかりと見据えて、そんな具体的なこととしては伝わってるといいなと思う。

自分の行動で相手にどんな感情が生まれるか、それはわかっていて動きたいものっすなあ。気付かないままっていうことはちょっとチャレンジャーなことではないかと思うよ。ちなみに悪くはないと思うんだよね笑。私はそういうのはたぶんぼちぼちとわかってるつもりで、そして相手が不安になるなどそこら辺をわかっていながらやるのがサドッ気があるところかなあって・・・サドっつーかもう単なる虐めですがね。いやそんな酷いこたあやらねえよ、だって私、ほんとにいい人だからさ。(お前は黙ればいい)
バイト先の同年代は馬鹿だったり賢かったりするけどそんな知識がどうであれ、やっぱり感情的、内面的なところで猪だなと思うばかりでさ。自分が人に飢えている気がするんです笑。
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