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From ground to sky Oh,tomato!
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大勢の中にいるとどうしても気分が晴れなかったりする。例えば誰かと二人で出かけたとして、歩いているときはまだいいんだけど、電車の中だとか人の目があるところに落ち着くことはたくさんある。そこで楽しく話をしたりしたらと考えると、周りで静かにしている人は鬱陶しく感じるかもしれないし、疲れている人は更に疲れるかもしれないし、少なくとも話していることを良いと思う人は滅多にいないと思う。私が楽しくすることで誰かが嫌な気分になるかもしれない。私はそう思ってしまって、何を感じるかわからない人の目があるところで心の底から楽しくなんかできないんだよね。でも話さないでいたら、今度は私と一緒にいる人が居心地が悪いと感じたり、つまらないと感じたり、そういう気持ちになるかもしれない。そうやって私自身も遣る瀬無い気持ちになってしまって、どこかそんな気分になる。学校とかも同じ。
世界中の人のことを考えるほど私は大きな人間じゃないけど、視界に入る人がどんな動きをしていてどんな表情をしていて、どんなことを考えていてどんな気持ちになっているか、そのぐらいは考えてしまう。自分一人が楽しくないことなんて数え切れないぐらいあった。だからかな、誰か一人でも浮かない気持ちになっているんじゃないかって人がいたら、どうしてもそっちが気になってしまう。偽善者じゃないと思ってる。自分が嫌われたくないという気持ちが少なくともあることはわかっているし、常にではなく誰がどうであろうとどうでもいいって時もあるから。たぶん、誰にでもこういうところはたとえほんの僅かでもあるんじゃないかと思ってる。きっと私はただはみ出した位置にいることが多かっただけ。
自分に何の関係もないことを考えて、空回りして、自己嫌悪として記憶に残ったりする。どうやったら誰もがすっきりとした気持ちになれるんだろうね。嫌な気持ちにさせたくないのにと自分の記憶を引き出してみると、私のあの行動で相手がこう感じた可能性がある、そんなことがいくつも考えられて、楽しかっただけの記憶なんてないに等しい。私はとても自分勝手だけど、自分だけが楽しいのは嫌で、それも私の自分勝手の一環としてある。自分とはなんて厄介な人間なんだろう。

最近結構見かけるバトンで、日記のタイトルを「学校辞めることにしました」にするってやつがあるんだよね。見たらびっくりするし、ドッキリとして楽しめると思うんだけど、嘘ですって明かした後でそんなわけないじゃんってような言葉に続く人もあるなと思う。本当に学校辞めた人がそれを見たらどう思うんだろなあって。少なくとも私は、うーんってちょっと笑いたくなるような寂しい気がした。わかってるよ、一般的に世間から見たらえーって事柄だろうってぐらい。そもそも辞めるなんて有り得ないって反応が一般的だし、そう続くのは普通のことだって思う。でも、私は大してどうも思わなかったけど、例えば別の辞めた人が悲しくなったり怒りを感じたりするんじゃないかなと思うんだよ。もしそうなると書いた人も見た人も寂しいなって。そもそもバトンを作った人が浅いんじゃないかなと考えられるんだけど、まあもしも辞めた人なんて滅多にいないんだからって考えたならしょうがない。それにそうじゃなくても何事も結局そうだし、やればいいと思うけどなんだかなって思うこともある。
そこにある事柄が絶対に楽しいとは限らない。事柄はそこにあるだけでそれをどう感じるかは人それぞれだし、だからこそうちの表記はとりあえず死ネタだけでもしてる。うっかり安っぽいの読んで気分最悪になったことがあるから笑。誰もがあることに対してどんな反応が有り得るかが全部わかっていたらいいのにね。でもそんなことは有り得ないし、そんなことを気にしていたら何も作れやしない。難しいなあ。ただ、絶対に楽しいと感じられることも、絶対に悲しいと感じられることもないんだよね。

私はとりあえず理解されにくい人がちょっとでも見てもらえれば、理解するのが苦手な人がちょっとでも見えるようになったらって思ってる。だから話も人の心情をみちみち書いて、こんなことを考えている人がいるんだって頭の端にでも留めてもらえたらいいなと考えてる。もちろん日頃はそんなことこれっぽっちも考えてないし、他にも色々考えてるけど笑。泣いてる人だったり失敗した人だったり、そのうち笑ってる人も書きたいな。皆が一生懸命で、その見てくれだけで鬱陶しいだとか嫌いだなんて言わないで欲しいと思うから。少しでも誰かが誰かに理解されたらいいなと、馬鹿みたいかもしれないけど、そんなことを思うんだよ。
そんなこと考えてるからうちのキャラはなんか美化してる気がして仕方がないんだ、ほんでから同じような展開の話が多かったりするんだ、アイタタ!どっかから文才おっこちてこないかな!(熟慮して書いて精進しろや)



実は結構前に書いてた内容で、ごみばこにアップした地上にある雲(沖田)のあとがきとして書いてたもの。表に書いてどうしようかと思って結局非公開にしてたんだけどまあこっちに残しておくかあと思って。こんなことを考えてたからまあこの内容が実は帰路(シャル)にちょろっと出てきてるっていう・・・笑。

私は自分のことを自分勝手だと言うけれど、たぶん本当のことだね。自分がとても素直な人間だって知ってるよ。きっとその素直さが自分に向けられたところが「我侭」になって、他人に向けられたところが「律儀」になるんだろうと思った。でもいつも人のことを気にする小心者でもあるっていう。たぶん私の性格ってのは、素直から出てきた我侭、律儀、それから小心者、そういうこと。もちろんそうじゃない部分もたくさんあるんだろうけどね。たぶん、一部分だけだったとしてもそうなんじゃないかなって思うよ。
今まで素直と律儀を別々に扱ってきたけどそれは違う気がして。我侭は自分から生まれるものだし、律儀は他人を介さないと生まれないから、おそらくこうかなと。

しかし自分で自分を素直な人間ですっつーのもどうかと思うのよ・・・私は「アイアム素直」なんて言ってる奴がいたらなんだよお前ェとか思うだろうと予想が立てられるんだよね笑。何の自覚もなしにいい子ってのはそこそこ見られるような気がするんだけど。どうも自分で自分はいい子だとわかってるのってあんまり耳にしないような・・・なんで?いや、私のはいい子じゃないけど。いい子にも悪い子にもなる素直さだけど。ん?つーかそうじゃないか、素直って聞いたらいい感じがするけど別に良くねーよ。少なくとも私は素直だけどどっからどう見ても良い子じゃねえもん、それなりに捻くれた厄介な子でしょたぶん。そうだそうだ、素直がいいなんて誰が決めた!(・・・)
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