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From ground to sky Oh,tomato!
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久しぶりに中学の友達と四人でカラオケ行ってきて、声もまあ出てたし色々と話もしたし楽しかった!けど、なるほど、と気付いたこともあった。たぶん、ずっと友達に囲まれて生きてきた人は言動が強気なんだなって。遠慮がないのとは少し違う強気。ああそうかあなるほどそりゃそうだ、考えてみればそうとしか言い様がないよ。人の成長過程って数学の計算とかよりよっぽど単純に出来てると思うし。また一つ、そういうことなんだろうなあと思うことが増えたよ。

馬鹿じゃないのかって、思うことがある。私は人のことを否定せずに生きていくけれど、でも、そうしたからと言って人が私のことを否定しないでいてくれるわけじゃない。嫌いにならないけど自分は嫌われて、怒らないけど自分は怒られて、許しても自分は許されないで。私はそういう人のことをいいよって思える自分が好きだけど、やっぱり馬鹿みたいだって思ったりしてしまう。だって人に優しくすることって自分に何の利益があるの。そうすることは自分が自分であるという意味があるかもしれないね。でも、傷つけないようにしてるのに相手に傷つけられて、私は何でしんどい思いをしているの。あいつ嫌いだって言ったら楽なのに。そうしたらいいのに、私には好きで嫌わないでいるだけじゃなく、少なからず嫌いになれないという絶対的な部分もあるんだよ。馬鹿でしょ、馬鹿、嫌いになれば楽なのに。
馬鹿だけど馬鹿になりたいよ、残酷な人になりたいよ。相手が傷つかないようにして自分が傷つく今も馬鹿だけど、接するときに相手が傷つくことも何も考えない馬鹿になりたいよ。これが馬鹿だけど馬鹿になりたい、その意味の一部。
なんだかんだ言っておいて、もしかしたら私は傷つけていないつもりで傷つけてばっかで、相手も同じなのかもしれないんだけどさ。

どうして人は簡単に人を否定するのかな。私もどうでもいいと思うことはあるけど、それは人のことに限らないからきっと他の人が人を嫌うこととは違う。寂しいことだらけだね。皆が人を嫌うことを忘れてしまえばいいのにって、そう思うよ。馬鹿みたいだって思っても、やっぱり私は人を嫌わないことを忘れたくないからさ。 

余談で、私も傷つけることあるしね。別の言い方をしたほうがいいよなとわかっていながらまあいっかと思うときが、たまにある私の嗜虐的な部分。余分に傷つけようと思ったわけじゃないから目立たないのかもしれないね、エムじゃないよエスなんだよって言っても否定されるよ笑。余分に言うときは冗談だしなあ。
更に余談をすると、人によって冗談じゃなく本当にエスだったりもするよ。わざと苛々させたりとか。まあ、私と縁を切るときは難しい理由をだらだら並べずに正直にもう嫌いになりましたって言えってことかな。云々だからあなたのことはもうどうでもいいんです考えないことにしましたって言いながら私のことで苛々してたら突付きたくもなるよ。お前はどうでもいい奴に対して苛々するのかい。それを言わずに怒らせるようなことを気付いてない振りしながら言う私はエスかなと。中途半端な人には負けてやんない。オフのことでソーリー。傷つくだとか不安になるとかはほんとに敏感だけど、苛々させるとかになると私の許容範囲も割と広くなるっていうね。

やまなしおちなし言いたかっただけ。でも私はやっぱりグラウンドスポットとかを書いた人間なんだなあとか思った瞬間・・・笑。剥き出しの話だったもんね、あれ、ほんとにどうかと思うぐらい丸出しだよ。
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