From ground to sky Oh,tomato!
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ほんとに、お前ら、羨ましいなあっていう自慢と嫉妬が混ざったそれだけの話。(P.S. のつもりがおろろ)
上のはソフトボール部を筆頭に学校が楽しくて仕方がないらしい。部活の話しながら自分も思い出して爆笑してるし、こっちも聞いてるだけで爆笑しちゃう内容だし、そんなのが毎日。雰囲気がすごい良さそうで。おじいちゃんからの電話のとき、学校楽しいかって訊かれて楽しいって笑いながら即答してたよ、いいなあ、私だったら保育園でも小学校でも中学校でも高校でもまあまあって答えしか返せないのに。いいなあ、だって本気で羨ましいほど楽しそうなんだよ。携帯も始終鳴ってるし・・・え、そういうもんなの?夜には疲れでリビングの床に寝転がってるけど、いつも晩御飯のときにはその話題で爆笑してるんだから。いいなあ。なんて理想的な高校生像なんだろう、まさにそんな感じで、私は他にこんなに楽しそうな人を見たことがないからさ。
下のはね・・・うん、おかしなぐらいオールマイティなんだよねこいつ。ほんとになんでもやってのける。そう、大きな姉がいるからって影響してるのもあるんだろうけど、とにかく絵も上手ければレゴでも驚くようなん作ってみせるし、歌だって難しいポップスでも音外さない。存在、ひとりでに、とかそんな言葉まで間違わず使った内容話してくるし、頭が良すぎる、時によっては小一のくせに中学生以上の賢さで動いたりする。私の口癖の中に「ほんとに小学一年生?」ってのがあるぐらいなんだよね。私が中学生の頃に出来ただろう言動を、一年生のくせにやってみせたりするんだもの。上の妹には無理じゃないかってような事を言ったりする。でも大人びてるんじゃなくて、まあ単に頭がいいだけなんだけどさ、その良さがちょっと異常だっていう・・・多少の贔屓目があったとしても、誰の目にもやっぱりおかしいんじゃないかってぐらいおかしい。クラスに一人二人はいるかなってレベルじゃないもんこいつ。昨日は体育の鉄棒で代表で逆上がりのお手本やったんだって。先生から聞いた話で、背が低いからけんすい気味の逆上がりらしい。そりゃ三歳から三点倒立やってたぐらいだから体動くのはわかってるけどさ、背低いのにいきなり逆上がりの手本?ちょっとあんた・・・。授業中もよう発言するらしくてすごいなあ。ただ自分でもすごいのがわかってるみたいで、性格に難有りだったりもするんだけど笑。
なんか二人の学校の話がね、聞いてて、微笑ましいと共にやっぱりちょっと羨ましいな。聞き終わると少し寂しくなる。
・・・どうしよう、なんか急に足が怖くなった。私も病気がなかったら妹に似てたかなと思うかなって思ったりして、なんとなしに病名で検索してたら人の手足のすごい画像が出てきて怖いもの見たさで、うん・・・なんか。なんかすごい心臓が速くなってる。私は自分のに見慣れてるだけで、他の人から見たらすごい、思わず目を逸らしたくなるようなものなのかもしれない。いや、それはともかく・・・。
どして、私には普通の足がないのかな。なんでこんな不思議な形してるのかな。他を見てみると自分のも載せられていた写真の一環のようで、怖いな、自分の足じゃないみたい。私より酷い人はいくらでもいるよ。けど、ちょっと怖いな、これ。
久しぶりに素直な恐怖に駆られてるなって気がする。読まれることを考えずにそのまま、なんか、怖いって、書いちゃうぐらい笑。
私のやつの病名は先天性腓骨列欠損、もしくは腓骨列形成不全、とか言われてるやつかな、私も良くわかってない。そのうち調べよ・・・検索じゃ引っかかんなかったから家庭の医学かな。見た目に出る違いは明らかで、左足の指が三本しかないよ。足も名前の通りに腓骨(※膝から足首まで伸びる二本の骨のうち小さいほう)がないからかなり細い。皆がそうかは知らないけどね。そんなんだから体育会系部活は駄目、靴も運動靴オンリー、酷使すると膝や足首が痛み出す、その他諸々。器用と不器用の違いとかも良くわかるよ、だって右足に比べて左足は木でできたつっかえ棒みたいで、動いてると自然と右ばかり使うから。
縫ったのや骨に差していた鉄棒が通ってた穴がふさがった痕、そんな手術や処置の名残があって、右とも太さが違って、まずスカートなんか履かないからね。靴も然り。見た目を気にしてたらやってらんないんじゃないかな、私。
なんてさ、不幸って言わないと損じゃないかって思ったりする。でも書き終わると馬鹿馬鹿しくもなっちゃった。怖いのも消えてった。悲しいことがあると、それを口にして他のやつらになんかわからないんだって主張したくなって、けど自分がそうしようと思ってるんだってことに気付いてるから言ってもやっぱり満足しない。だってこれは不平等だもんね。平等なことなら私だって頭使うけど、最初から違うんじゃ、どうしようもないし私もやる気起きないや。たぶんやる気があったなら、中学校の制服はスカートだとかいかにもそれらしく書いたんだろうけど、ああ馬鹿みたい。
これ書いて思ったのは私ってすごいフェアな人間なんじゃないかって笑。誰にでも存在できることなら自分がすごいように話したりするけど、これってそうじゃないもんね、素直な奴だなあ・・・上手く言えばいいのに損してる笑。でもね、まあ私はそんな自分に困る反面、好きなもんで、こんでいいや。人に好印象を与えたいと思うと同時に、気に入らないって言うなら気に入らなくていいって思ってるよ、誰にどう思われようと私が変わるわけじゃないんだから。もちろん嬉しい悲しいはちゃんとある。けど、元は人の反応に関しない自分だって思ってるからいいんだよ。人の話を聞かない奴って言われてもその通りですって笑うからさ。
書いたことに対して思惑を吐露して、素直だっていい人に見せようとしてる、そんなね。自分がいい人なのか悪い人なのか良くわからない。書いたことを読んだ人がどう思うのか、それを意識して書いたりして、・・・やっぱり今日のは良くない人である気がする。配慮で書かないこともあるからいい人なところもあるよ笑。
人が何かを言うのって、相手にどう思ってもらいたいかっていう思惑があることも多いんです。だからこそ会話があると言ってもいい。でも、相手が自分にどう感じてほしいのかというのがわかってしまうと、やっぱり相手に対していいようには思わなくなる。最近特に、言われたことが意識下であれ無意識下であれ、もしかしたらでもわかるようになってきてしまったから、下手に賢い人と話すとほんとに会話する気がなくなるよ。安易に変化球を放らないで。とびきりのやつか、飾りのない直球にして。言いたいことがあるから会話は生まれるけど、素直に話して、気付いてしまったら飽きちゃうから。だから、話題がない会話か、くだらないことばかりの会話が一番好きかもしれないなあって思うよ。賢いのよりも馬鹿なほうがよっぽど楽しいって思えたりする。
だらだら、はて何が書きたいんだったか・・・久しぶりだなあこんなの。でも書くとなんだかすっきりした気がするからこんでいいことにしておこう。ろくな話じゃありませんでした、私もちょっといっちゃってました笑。でもいいなあ。いちゃってるときを思い出すと、そのときってすごい主観的みたいで・・・するといつもは客観的なんかな?そんな疑問も出てくるものの。いや、いいなあ、怖いって書いてた辺り、ほんとに不安だったんだけどあの感じは癖になりそう、だって「・・・どうしよう」から「それはともかく・・・。」までですごいって何回も使ってるよ、すごいすごい、ようこんなの書けたなあ。いつもそんなんだったら世界変わるだろうなあ・・・。
ここまで、いつも以上にどう思われようが気にしてない、というかいつもと違って気にしてない?わけわかめだらだらでした。ほんと勝手ですいませぬ。
上のはソフトボール部を筆頭に学校が楽しくて仕方がないらしい。部活の話しながら自分も思い出して爆笑してるし、こっちも聞いてるだけで爆笑しちゃう内容だし、そんなのが毎日。雰囲気がすごい良さそうで。おじいちゃんからの電話のとき、学校楽しいかって訊かれて楽しいって笑いながら即答してたよ、いいなあ、私だったら保育園でも小学校でも中学校でも高校でもまあまあって答えしか返せないのに。いいなあ、だって本気で羨ましいほど楽しそうなんだよ。携帯も始終鳴ってるし・・・え、そういうもんなの?夜には疲れでリビングの床に寝転がってるけど、いつも晩御飯のときにはその話題で爆笑してるんだから。いいなあ。なんて理想的な高校生像なんだろう、まさにそんな感じで、私は他にこんなに楽しそうな人を見たことがないからさ。
下のはね・・・うん、おかしなぐらいオールマイティなんだよねこいつ。ほんとになんでもやってのける。そう、大きな姉がいるからって影響してるのもあるんだろうけど、とにかく絵も上手ければレゴでも驚くようなん作ってみせるし、歌だって難しいポップスでも音外さない。存在、ひとりでに、とかそんな言葉まで間違わず使った内容話してくるし、頭が良すぎる、時によっては小一のくせに中学生以上の賢さで動いたりする。私の口癖の中に「ほんとに小学一年生?」ってのがあるぐらいなんだよね。私が中学生の頃に出来ただろう言動を、一年生のくせにやってみせたりするんだもの。上の妹には無理じゃないかってような事を言ったりする。でも大人びてるんじゃなくて、まあ単に頭がいいだけなんだけどさ、その良さがちょっと異常だっていう・・・多少の贔屓目があったとしても、誰の目にもやっぱりおかしいんじゃないかってぐらいおかしい。クラスに一人二人はいるかなってレベルじゃないもんこいつ。昨日は体育の鉄棒で代表で逆上がりのお手本やったんだって。先生から聞いた話で、背が低いからけんすい気味の逆上がりらしい。そりゃ三歳から三点倒立やってたぐらいだから体動くのはわかってるけどさ、背低いのにいきなり逆上がりの手本?ちょっとあんた・・・。授業中もよう発言するらしくてすごいなあ。ただ自分でもすごいのがわかってるみたいで、性格に難有りだったりもするんだけど笑。
なんか二人の学校の話がね、聞いてて、微笑ましいと共にやっぱりちょっと羨ましいな。聞き終わると少し寂しくなる。
・・・どうしよう、なんか急に足が怖くなった。私も病気がなかったら妹に似てたかなと思うかなって思ったりして、なんとなしに病名で検索してたら人の手足のすごい画像が出てきて怖いもの見たさで、うん・・・なんか。なんかすごい心臓が速くなってる。私は自分のに見慣れてるだけで、他の人から見たらすごい、思わず目を逸らしたくなるようなものなのかもしれない。いや、それはともかく・・・。
どして、私には普通の足がないのかな。なんでこんな不思議な形してるのかな。他を見てみると自分のも載せられていた写真の一環のようで、怖いな、自分の足じゃないみたい。私より酷い人はいくらでもいるよ。けど、ちょっと怖いな、これ。
久しぶりに素直な恐怖に駆られてるなって気がする。読まれることを考えずにそのまま、なんか、怖いって、書いちゃうぐらい笑。
私のやつの病名は先天性腓骨列欠損、もしくは腓骨列形成不全、とか言われてるやつかな、私も良くわかってない。そのうち調べよ・・・検索じゃ引っかかんなかったから家庭の医学かな。見た目に出る違いは明らかで、左足の指が三本しかないよ。足も名前の通りに腓骨(※膝から足首まで伸びる二本の骨のうち小さいほう)がないからかなり細い。皆がそうかは知らないけどね。そんなんだから体育会系部活は駄目、靴も運動靴オンリー、酷使すると膝や足首が痛み出す、その他諸々。器用と不器用の違いとかも良くわかるよ、だって右足に比べて左足は木でできたつっかえ棒みたいで、動いてると自然と右ばかり使うから。
縫ったのや骨に差していた鉄棒が通ってた穴がふさがった痕、そんな手術や処置の名残があって、右とも太さが違って、まずスカートなんか履かないからね。靴も然り。見た目を気にしてたらやってらんないんじゃないかな、私。
なんてさ、不幸って言わないと損じゃないかって思ったりする。でも書き終わると馬鹿馬鹿しくもなっちゃった。怖いのも消えてった。悲しいことがあると、それを口にして他のやつらになんかわからないんだって主張したくなって、けど自分がそうしようと思ってるんだってことに気付いてるから言ってもやっぱり満足しない。だってこれは不平等だもんね。平等なことなら私だって頭使うけど、最初から違うんじゃ、どうしようもないし私もやる気起きないや。たぶんやる気があったなら、中学校の制服はスカートだとかいかにもそれらしく書いたんだろうけど、ああ馬鹿みたい。
これ書いて思ったのは私ってすごいフェアな人間なんじゃないかって笑。誰にでも存在できることなら自分がすごいように話したりするけど、これってそうじゃないもんね、素直な奴だなあ・・・上手く言えばいいのに損してる笑。でもね、まあ私はそんな自分に困る反面、好きなもんで、こんでいいや。人に好印象を与えたいと思うと同時に、気に入らないって言うなら気に入らなくていいって思ってるよ、誰にどう思われようと私が変わるわけじゃないんだから。もちろん嬉しい悲しいはちゃんとある。けど、元は人の反応に関しない自分だって思ってるからいいんだよ。人の話を聞かない奴って言われてもその通りですって笑うからさ。
書いたことに対して思惑を吐露して、素直だっていい人に見せようとしてる、そんなね。自分がいい人なのか悪い人なのか良くわからない。書いたことを読んだ人がどう思うのか、それを意識して書いたりして、・・・やっぱり今日のは良くない人である気がする。配慮で書かないこともあるからいい人なところもあるよ笑。
人が何かを言うのって、相手にどう思ってもらいたいかっていう思惑があることも多いんです。だからこそ会話があると言ってもいい。でも、相手が自分にどう感じてほしいのかというのがわかってしまうと、やっぱり相手に対していいようには思わなくなる。最近特に、言われたことが意識下であれ無意識下であれ、もしかしたらでもわかるようになってきてしまったから、下手に賢い人と話すとほんとに会話する気がなくなるよ。安易に変化球を放らないで。とびきりのやつか、飾りのない直球にして。言いたいことがあるから会話は生まれるけど、素直に話して、気付いてしまったら飽きちゃうから。だから、話題がない会話か、くだらないことばかりの会話が一番好きかもしれないなあって思うよ。賢いのよりも馬鹿なほうがよっぽど楽しいって思えたりする。
だらだら、はて何が書きたいんだったか・・・久しぶりだなあこんなの。でも書くとなんだかすっきりした気がするからこんでいいことにしておこう。ろくな話じゃありませんでした、私もちょっといっちゃってました笑。でもいいなあ。いちゃってるときを思い出すと、そのときってすごい主観的みたいで・・・するといつもは客観的なんかな?そんな疑問も出てくるものの。いや、いいなあ、怖いって書いてた辺り、ほんとに不安だったんだけどあの感じは癖になりそう、だって「・・・どうしよう」から「それはともかく・・・。」までですごいって何回も使ってるよ、すごいすごい、ようこんなの書けたなあ。いつもそんなんだったら世界変わるだろうなあ・・・。
ここまで、いつも以上にどう思われようが気にしてない、というかいつもと違って気にしてない?わけわかめだらだらでした。ほんと勝手ですいませぬ。
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