From ground to sky Oh,tomato!
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どうでもよくないものが数えられるぐらいしかないよ。妹二人と、お母さん、お父さん。このうちの誰かがいなくなったら泣き続けるけど、他の誰がいなくなっても泣かないような気がする。何かを言われて腹が立つのもこの三人のうちの誰か。昨夜、嬉しかったんだよね、お母さんと話していて苛々した自分が。お母さんに対して吐き捨てるような口調のときがあるし、妹に対して怒鳴るときがあるよ。大事なんだろね。いってらっしゃいとおかえりはいつも言ってる。
私が人を嫌いにならないのは、本当は良くないことだとも思ったりするよ。否定する気持ちがないのは悪いことじゃないだろうけど、逆に言えば、否定するほど関心がない、つまりどうでもいいからなのかもしれない。
人って見たまんま、それ以上でも以下でもないんだよ。表情と声音と態度と姿勢、それから話した内容に全部曝け出してる。いい人の振りをするなんて、出来るわけないでしょ、振りをしているのもその人自身で見たまんま。素直に見たら色んなことがわかるよ。全部わかったら、くだらないと感じるよ。わからないほど、その人のことが気になるよ。好きになれないのは考えなくてもわかるぐらいの振りをしている、ちょっと賢い人。好きなのは、いつも本心から単純な言動をする人、それから後から思い出して考えないと言動の意図がわからない人。同年代はちょっと賢い人が多いから、なんだかなあ、って思ってしまったりしてさ。そんな年頃なのかな。好きになって仲良くしたいって思える人が少ないよ。
結局、そこまで勉強したいと思っているわけでも、人間関係に期待しているわけでも、卒業することにも興味がなくて、そんなどうでもいいことのために一日十時間勉強なんて出来ないんだよね。大学受験やめよっかなって気になったかな。もうさすがにいいだろうって。ちらっとお母さんと話して、それならもう専門学校にしろって言われたし。興味のある分野のためにってほうがよっぽどだろうと、そうするかなって。受験から逃げてるだけならまだ私にも救えるところがあっただろうにね、どうでもいいだけなんだから困ったもんだ・・・。
特に纏める気もなく受験やめるってことだけ書きたかった記事でした。何を考えているのか本当のところはわからないって保険をかけつつ、それでも私は人を見下し過ぎだろうね。でも、人と関わっているとそれが固まってくだけなんだからどうしようもないよ。
一つの例のような話。悪口や愚痴を言うとき、怒って苛々しながら言うのか、それとも呆れて許容したように言うのか、それだけで人が見えるよ。前者は人を対等に見ているからこそ怒って、後者は既に見下しているから穏やかなものになる。後者はあまりいないだろね。でも、もし見つけたら気をつけなきゃいけなくて、いい人か悪い人かは自分で判断するしかないけれど、少なくとも食えない人であることに間違いはないと思うよ。そういう人と話してると、緊張したり楽しかったりして、私はまだいい人か悪い人か良くわからないなあ・・・付き合いが難しいもんで、社員さんて、ほんとねえ・・・。
私は自分も食えない人に入るんじゃないかなあと思ってるけど、まあ人から見たら単純でわかりやすい奴かもしれないよね。いやしかし、曲者だったらいいよなあ、なんだか響きが格好いい!
つーか纏まってなさ過ぎるだろこの記事。あちゃー・・・いつもの事?
私が人を嫌いにならないのは、本当は良くないことだとも思ったりするよ。否定する気持ちがないのは悪いことじゃないだろうけど、逆に言えば、否定するほど関心がない、つまりどうでもいいからなのかもしれない。
人って見たまんま、それ以上でも以下でもないんだよ。表情と声音と態度と姿勢、それから話した内容に全部曝け出してる。いい人の振りをするなんて、出来るわけないでしょ、振りをしているのもその人自身で見たまんま。素直に見たら色んなことがわかるよ。全部わかったら、くだらないと感じるよ。わからないほど、その人のことが気になるよ。好きになれないのは考えなくてもわかるぐらいの振りをしている、ちょっと賢い人。好きなのは、いつも本心から単純な言動をする人、それから後から思い出して考えないと言動の意図がわからない人。同年代はちょっと賢い人が多いから、なんだかなあ、って思ってしまったりしてさ。そんな年頃なのかな。好きになって仲良くしたいって思える人が少ないよ。
結局、そこまで勉強したいと思っているわけでも、人間関係に期待しているわけでも、卒業することにも興味がなくて、そんなどうでもいいことのために一日十時間勉強なんて出来ないんだよね。大学受験やめよっかなって気になったかな。もうさすがにいいだろうって。ちらっとお母さんと話して、それならもう専門学校にしろって言われたし。興味のある分野のためにってほうがよっぽどだろうと、そうするかなって。受験から逃げてるだけならまだ私にも救えるところがあっただろうにね、どうでもいいだけなんだから困ったもんだ・・・。
特に纏める気もなく受験やめるってことだけ書きたかった記事でした。何を考えているのか本当のところはわからないって保険をかけつつ、それでも私は人を見下し過ぎだろうね。でも、人と関わっているとそれが固まってくだけなんだからどうしようもないよ。
一つの例のような話。悪口や愚痴を言うとき、怒って苛々しながら言うのか、それとも呆れて許容したように言うのか、それだけで人が見えるよ。前者は人を対等に見ているからこそ怒って、後者は既に見下しているから穏やかなものになる。後者はあまりいないだろね。でも、もし見つけたら気をつけなきゃいけなくて、いい人か悪い人かは自分で判断するしかないけれど、少なくとも食えない人であることに間違いはないと思うよ。そういう人と話してると、緊張したり楽しかったりして、私はまだいい人か悪い人か良くわからないなあ・・・付き合いが難しいもんで、社員さんて、ほんとねえ・・・。
私は自分も食えない人に入るんじゃないかなあと思ってるけど、まあ人から見たら単純でわかりやすい奴かもしれないよね。いやしかし、曲者だったらいいよなあ、なんだか響きが格好いい!
つーか纏まってなさ過ぎるだろこの記事。あちゃー・・・いつもの事?
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